建築業界に関わらず、あらゆる業界において設計者とは、実に命の縮むような職業だ。
2007年6月、渋谷の住宅街にある、女性専用温泉施設「シエスパ」が爆発し、従業員3人が死亡、通行人3人が重軽傷を負った。
そして、判決は、
設計者有罪、施設運営責任者無罪。
今回告訴されたのは、設備設計を担当した大成建設社員。
近隣住民から、温泉水の排気ガス放出口の変更を要望され、急遽配管ルートの設計変更が生じた。
結露水が配管内に滞留する構図となるため、水抜きバルブを設置したものの、そのバルブを開閉して水を抜いていなかったため、配管内にガスが溜まり爆発した、というのが事故のメカニズムなのだが。
ここで、運営側の責任は問われず、設計変更により、水抜きの必要性を通達していなかったことで設計者へ
の責任が及んだ。
同業種に携わるものとしては、複雑な心境だ。
設計者が刑事告発されたのは、今回に限ったことではない。
最も有名な事件は、姉歯事件。
これは、日本中の建築界を激震させた大事件とも言えるのだが、そこでも、行政側の責任は「限定的」とされている。
つまり、「安全性は一次的に建築士によって確保されるべきで、建築主事(行政)の審査はそれを『前提』としている」ということだ。
姉歯事件は、少し次元が違うのだが、他の刑事事件をみても、設計側の責任の重大さが如実に示される判決がほとんどだ。
東日本大震災で、コストコ多摩境店のスロープが崩落した事故(震災による事故で刑事告発はコレが初めてらしいが・・)
ここでも、設計者が危険を予測できなかったことに責任が及んでいる。
何とも、心臓に砲弾を打ち込まれるような感覚だった。
設計者の責任とは。
確かに、ひとたび事故が起きれば、人命に関わる危害を及ぼす意味で、そういうものを構築する責任は果てしなく大きい。
が、しかし。
人為的に行う行為や天災による事故を、どこまで想定できるのか、と言われれば、正直、わからない。
無責任なようだが、わからない。
おそらく専門家であれば、そう答えざるを得ないだろう。
専門家として示す言葉が、あまりに重く、時に一人歩きしてしまう恐れを回避するならば、下手なことは言えない。
運営上の注意や、可能性として「起こりうる」ことに、注意を怠ってはならないが、数量的にいかほどか、は測れない。
とすると、結果として無限責任なのか。
専門職として、無限責任を背負う職業は他にあるだろうか??
ちょっと考えてみたが、思いつかない。
建物の安全性を確保する「無限責任」。
建築士という資格者が責任問題で追い込まれるケースは果てしない。