こんなところにも日本の支援があった!マケドニアの中央駅

 

マケドニアは東欧の一国。

旧ユーゴスラビアから1991年に独立し、周囲をセルビア、ブルガリア、アルバニア、コソボに囲まれている。

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もともと、他民族国家であったユーゴスラビアは、六つの共和国からなる。

冷戦時代、東欧諸国がソ連の衛星国とされた時代、ユーゴスラビアは独自の社会主義国家としての地位を保っていた。

が、ソ連においてゴルバチョフによる民主化が進むと同時に、東欧諸国にも民主化の動きが広がり、ユーゴスラビアもまた、共産党の一党独裁を脱却するのだが、ここに他民族国家ゆえの衝突がおこる。

まだ、記憶に新しい内戦の歴史だ。

1991年から2001年にかけて、各地で泥沼のような内戦が起こり、この国にとって激動の時代だったといえよう。

今は国連の介入によって収束しているが、完全に傷跡が癒えたとも言いがたい。

 

さて、自慢じゃないが、世界史にあんまり詳しくない私は、マケドニアと聞いて、どこソレ?

ぐらいの感覚でしかない。

というか、東欧諸国という一括りの認知程度、国境もわからなければ、それぞれの国がどこに位置しているのかもわからない。(小学校に戻って勉強しなおせいっ!)

 

しかし、驚いた。

こんなとこ(というと失礼だが)まで、日本の支援の手が入っていたとは。

しかも、日本の建築界の巨匠(かどうかはわからんが、世間ではそうらしいね)

故・丹下健三さんが中心的に活躍していたとは!

 

1963年、マケドニアの首都スコピエで、市内の建物の7割以上が崩壊するという大地震が起きた。

まー、当時のヨーロッパの建物は耐震もへったくれもないだろうし、古い石造りの建物だと、一発で壊れるのは、不思議でもない。

そこで、街の再建に日本のチームが活躍したということなのだが、そのチームのリーダー的存在が丹下さんだったということだ。

 

そして、マケドニアではこの地震から復興した経緯を、学校できちんと教育しているらしく、多くのマケドニア人が、「今のスコピエを造ったのは日本人だ」ということを理解しているという。

 

なんて嬉しいことだろう。

日本人として、これほど誇りに思うことはない。

ぶっちゃけ、建築家と称する人物、あんまり好きでないんです、ワタクシ。。(かなり偏見かもしれないけど)

でも、彼らなりに頑張っているということは納得するよ。

もちろん、丹下さん一人の力ではないだろうけど、彼を中心に日本人が異国のために力を尽くしたこと、そして人々に尊敬される偉業を残したことは、ただただ素直に喜びたい。

 

50年経った今、マケドニアは、街の再開発が盛んに行われているらしいが、復興のシンボルとしてのスコピエ中央駅は、当時の姿のまま残されることになったらしい。

内戦下でも壊れなかったんだろうか?

壊れたけども、当時の姿を復元するのだろうか?

 

何れにしても、涙が出るほど嬉しい話だ。

 

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