ロンドン五輪の舞台裏ー成熟都市の精神 

 

イスタンブール、東京、マドリード。

2020年のオリンピック開催都市の候補地。

この中から、9月7日、正式に開催地が決定する。

あと1ヶ月か。

 

仮に東京に栄冠の札が渡されたならば、建築・不動産業が一気に花開く・・などと一部では手ぐすね引いて待っている様子が伺えるが、とはいっても、極一部の大手にすぎない。

すでに、メーンスタジアムの国立競技場の建替えは計画されている。

ところで、昨年のロンドンオリンピック、こういっちゃーなんだが、あまりパッとした華やかさが感じられなかった。。と思った人も少なくないのではないだろうか。

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仮設とはいうものの、メーンアリーナもどことなく「地味」という言葉がふさわしいくらい、オリンピック会場としてはひっそりとした印象だった。

そこには、歴史の街ロンドンの揺るぎない精神が息づく。

彼の地、グリニッジは有数の世界遺産の街だ。

開催が決定した折には、地元住民から反対運動も起きたほど、会場となった王立グリニッジ公園の自然を守ろうとする精神には圧倒される。

さすが・・と今更ながらに脱帽してしまう彼らの精神。

歴史や自然を大切に残していこうとするヨーロッパの文化には、文句なしに畏敬の念を抱いてしまう。

 

ロンドンオリンピック会場の建設に携わった一人の日本人アーキテクトが、その様子を綴った記事がある。彼自身の人生も紆余曲折と言う感じがするのだが、実際の会場建設には、忍耐との勝負だったようだ。

建設予定地に樹木の根があれば、切り取るのではなく建物を動かす。枝がぶつかれば、切り取るのではなく建物を動かす。

いやはや、めまいがしそうな作業だ。

 

オリンピック開催とならば、世界中の目がその都市に注目する。

機能的にも美観的にも、いかに優れた都市であるかを世界中の目に向けて発信する、またとないチャンス。

それでも、彼の歴史ある街の国民は、世界の目よりも何よりも、自ら守るべきものの尊さを重んじた。

いや、その精神こそが、世界に向けて発信したかったことではないのだろうか、と今になって思う。

 

オリンピックを開催するにふさわしいだけの発達した都市であること。それを示し、世界に認められる機会であることには間違いない。

けれど、ロンドンや東京のように、すでに成熟してしまった都市が、次の世代にどういったメッセージを伝えられるのか。

これが、成熟した都市に課せられた課題ではないのだろうか。

次期、東京での開催を願いつつ、ロンドン五輪に学ぶ。

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