東急東横線中目黒駅から少し離れた閑静な場所に、庭園と一体となったオフィスビル、目黒区役所がある。
アルキャストのルーバーで建物全体を覆ったファサードは、その存在感を寡黙に主張する。
もともと、ここは千代田生命の本社だった。
1966年、村野藤吾の設計により竣工したこの建物は、当時の高度経済成長の華々しさを象徴するかのように、生命保険会社の本社ビルとして広大な敷地に荘厳として佇む。
村野藤吾は丹下健三と並んで昭和を代表する建築家である。
広島の世界平和記念聖堂、読売会館(現在の有楽町ビックカメラのビル)、横浜市庁舎、新高輪プリンスホテルなど、実に多くの建築を手がけてきた。
しかし、1990年代に入り日本経済が低迷を続ける中、90年後半から相次いだ生命保険会社の経営破綻の波に、この千代田生命ものまれることになる。
2000年、千代田生命が破綻。当然その本社ビルも土地とともに売却される。
当時、庁舎の老朽化に伴い建替えを考えていた目黒区に対し、管財人が打診を掛けた。
わずか10日という回答期限に、議会審議もままならず、半ば独断ともいう形で区は購入を決断する。
一部の区民から批判は出たものの、こうして千代田生命本社ビルは区庁舎として生き延びることとなったのである。
もしも、区が買い取っていなかったら、おそらくこの建物は跡形もなく消えていたかもしれない。
都心の一等地、駅からもそう遠くない閑静な街ともなれば、マンション用地としてうってつけだ。デベロッパーがよだれを垂らして欲しがる姿が容易に想像できる。
今、この建物は庁舎として生き続ける。
安全性等を考慮し、所々改修がなされたものの、当時の姿をそのまま残して生き続ける。
さらに、先月この庁舎を結婚式場として一般開放することが決まった。
土、日、祝日の庁舎休館日を利用して、ウェディングホールとして貸し出すというのだ。
きっかけは、ただ純粋に、この建物の魅力を感じ取った若手職員の感性。
以前から、テレビドラマの撮影などに庁舎を貸し出す誘致事業を担当していた彼らは、この魅力ある建物を結婚式場にも使えるのではないか、と思うようになったという。
もちろん、彼らは村野藤吾なんて知らない。
村野は知らずとも、ただ純粋に建物の魅力を肌で感じていた。
もし、村野が天国でこの話を聞いたなら、一人男泣きでもするんじゃなかろうか?
時として、経済を前に、建築は弱い。
経済的な理由から、いともたやすく姿を消してしまう。
まだ充分に機能するものであるか否かに関わらず、また、その価値がどうであれ、
人々の思い出とともに建築は消される。
建築は経済の犠牲者か?
いや、どんなに経済の闇が巨大になろうとも、人間の感性までは潰せない。
建築は存外、強いものかもしれない。