今年の気候はなんかおかしい、と感じたのは夏の猛暑から始まり、異常な台風発生、何だか気候の変動にほとほと疲れきってしまったころに、急激な寒波がやってきおった。都心では一週間早い木枯らし一号。
台風が30号まで発生したのは、平成6年の36号以来19年ぶりらしい。しかもこの30号は今年一番の勢力だったというから、天の神様はどうしても破壊したくて仕方なかったのかと、恨み言の一つでも言いたくなる。
台風30号が直撃したレイテ島の光景は、3.11の光景と重なる。
「消えた街」
30号の少し前に日本列島を直撃した26号は、伊豆大島で17人の死者と50名近い不明者を出した。
26号の中心気圧930hPa、最大瞬間風速65m/s。今年最大と言われていた26号をさらに上回る30号のそれは1002hPa、105m/s。最悪なことに高潮のタイミングと重なり文字通り街は流された。そして、未だに被災者の実体が把握できないほど、ぐちゃぐちゃになっているということだが、1万人規模の死者がでるのではないかとさえ推測されている。
今更考えても仕方のないことだが、もしこの30号が日本列島を直撃していたら、どうなっていたか。
少なくとも、フィリピンの被害ほど大きくはならなかっただろうことは、想像が付く。
しかし、もし、50年前の日本だったらどうだろうか。
確信は持てないが、おそらく同じような大惨事になっていただろうと推測する。
50年前の急成長をしていた頃の日本も、やはり危うい都市だった。
建物はいまでこそ頑丈に思えるが、当初造られたものを見るにつけ、まあそりゃ酷いもんです。
今から思うと、なんでしょうけど、でも、当初はそれを当然として造り続けていたわけでして、やっと最近、それじゃいかんぞ、ということが分かってきて、お役所も民間も知恵を付けて試行錯誤の末、今に至っているわけでございます。
都市は成長する。
これは、人がそこで生活を営み、人が集中し、経済活動を行う限り、必然的にそうなるもの。
フィリピンは、今まさに50年前の日本のように、ものすごい勢いで成長をしているわけですけども、都市が成長すればするほど、皮肉にも惨事の規模も比例して大きくなる。
3.11の災害も、今回の台風被害も、自然の脅威の前に人は無力なのか、と空しさが募る今日この頃ではあるけれど、人間の成長と同じで、そんな心配をよそに都市もおかまいなく大きくなろうとする。
自然の脅威を前にして我々がなすべきことは、果てなき挑戦なのでしょうか。
フィリピンの被災者のご冥福をお祈りするとともに、一刻も早く不明者が発見されることを祈ります。