あなたは、もう、忘れたかしら~♪
赤い手拭いマフラーにして・・・
あー、やっと思い出した!
「神田川」。
すっきりしました。
この記事「ブルースタジオの技、制約や不自由さを逆手に魅力付け」
を目にしてから、この神田川のメロディーが、ぐるぐる頭の中で流れていて、どうしてもタイトルを思い出せなかったんですけど、この歌の舞台って、作詞をされた喜多條忠さんが、学生時代に彼女と住んでいた高田馬場神田川沿いの三畳一間の木賃アパートだったそうです。
まだあるかどうかは不明ですが。
木賃、すなわち木造賃貸アパートは、いまでこそ、ワンルームマンションに取って変わってしまったが、昭和の一人暮らしを支えてきた立派な住まいだった。
あまり目にすることもなくなったけれど、実は、記事にもあるように、山手通りと環七の間の高円寺や下北沢といった人気エリアに、こうした築古アパートが点在する。
昔からの地主が、朽ちゆくままにただ放置しているといった様子で、風呂なし一間の借り手は、必然的に低所得者層や、高齢者に偏り、若い女性が好んで住みたいと思う代物ではない。
リノベーションの先駆者ブルースタジオは、こうした築古の木賃アパートに注目する。
建て替えると、新しい建築規制で、既存の建物よりも小さくなってしまうケースも少なくない。
ならば、古さをそのまま活かそうということで、老朽化したアパートを昭和のレトロ漂うアパートへと再生する。実に見事だ。
古いものをそのまま活かす手法は何も特別なことではなく、欧米では100年以上もの築年数を経た建物を、最新の設備が整っていなくても、住み手が住み良いように工夫して住まう。
ここに、ブルースタジオが提唱する「住育」がある。
最近のワンルームマンションのように、至れり尽くせりの設備が整っていると、自ら工夫することをしなくなる。
むしろ、足りないぐらいのほうが、自らの個性を活かし、より良く住まうために知恵を働かせる、というわけだ。
今の若者に、昭和のレトロと言っても、平成生まれの彼らにはピンと来ないのかもしれませんけど、それでも至れり尽くせり、ゆとり世代で育った彼らには、「何か足りない」というのが新鮮に映るようで、自分で手を加える楽しさを感じ取る。
「何か足りない」、けれどそこに「何かできる」という価値観。
貧しいけれどささやかな幸せを感じた時代、昭和を象徴する木賃アパート暮らしの風景の中に、日本人の原点がある。