2001年9月11日。
この日、私は何をしていたのか思い出せないのだけれど、あれからもう12年も経ったということか。
映画のワンシーンか何か?と、つぶさにその衝撃的な映像の意味が掴めなかったのを記憶している。
月日は巡り、悲劇の跡地には追悼記念館、メモリアルパーク、そしてこのたび高層ビル「タワー4」が完成。
また新たな風景が生まれようとしている。
ちなみに、この「タワー4」は、新国立競技場ザハ・ハディト案にモノ申した槙文彦さんデス。どうでもいいけど。
かつて訪れたNYは、随分昔、もちろん崩壊前のWTCも存在していた。
とにかく寒く、雪が舞う真冬のNYだったと記憶している。
新たな風景が生まれると、かつてそこに存在していたものは人々の記憶から少しづつ消えていく。
それを人々の心に刻むものとして、記念館やモニュメントが作られるわけだけれども、ここテロ跡地に、10年以上もの間放置されていた鉄鋼の残骸に、人の顔が浮かび上がっていると地元市民らの間で話題となっているらしい。
この鉄鋼の残骸、長さ9m、WTC北棟の梁の一部だったということだが(どうやってわかったんでしょう???そっちの方が謎だわ)長年の風雨に晒されて、染み付いた影というか水跡のようなものが、人の顔に見えるということなんですが、まあ何ともミステリアスといいますかドラマチックといますか、私は霊感も何もない、鈍感な神経の持ち主なので、たぶん言われなきゃわかんないだろなとキッパリ宣言できますけど、おそらく人々の心の奥底に刻まれた、悲しい記憶が映し出しているんじゃないかと思ってみたりする。
人の心が映し出す光景は、美しくもあり、悲しくもあり、一様として同じものではないということの証かもしれない。
この鉄鋼の残骸は、来年春にオープンする記念館にて一般公開されるそうですが、変わりゆく跡地の風景に、私たちの悲しみを忘れないでと無言のメッセージを投げかけて現れたかのようにも思えてですね、単なる偶然にも思えない神秘的な力を感じるわけでゴザイマス。
人は忘れる動物ですけど、それでも風化させちゃいけない記憶はある。