「日本に住みたいとは思わない」世界を回るパラリンピック選手の本音

 

富士山の世界文化遺産登録に引き続き、和食の無形文化遺産登録と、今年は日本が世界から注目を集める出来事が多かった。

そして、何よりも一番のビックニュースは2020年のオリンピック開催決定だったのではないのでしょうか?・・と少し早い2013年振り返りをしてみたりして。

 

実際、ここ十数年来、世界の中で日本の存在感が薄くなりつつあったところ、(いえ、すでに薄いのですけど)、に加えて、隣国からの罵声ばかりがやけに響き渡り、イタイタしいというか哀れというか、そんな重苦しい雰囲気から、やっと光明が差したような明るいニュースで、素直に嬉しかったです。

 

ですが、コレからが勝負というのでしょうか、世界から注目をされた日本がやるべきことは、山積みなわけでして、先般の新国立競技場の建設に向けた議論でも、すったもんだやっておりますけれども、先のロンドンパラリンピックで活躍した陸上選手佐藤真海選手の言葉が、とても重い。

「もし私が車いすだとしたら、日本に住みたいとは思わない」

 

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彼女は、大学在学中に骨肉睡を発症し、2002年から義足。2004年にアテネパラリンピック、その後北京、ロンドンに出場、10年間世界各国を回る中で、世界との違いを痛感したという。

 

例えば、選手の練習環境一つとっても、日本オリンピック委員会が運用する「味の素ナショナルトレーニングセンター」は、パラリンピック選手は利用できない。つまり、健常者と障害者が同じ場所で練習ができないようになっている。

一方、ロンドンでは、普通に同じフィールドで健常者であろうと障碍者であろうと同じように練習を行い、一緒に合宿や合同練習をしたりする。

 

練習場だけに限らず、街中でも障害者が「特別扱い」されることはない。

障害者専用の昇降機などなくとも手助けが必要だと思われる人をみかけたら、声を掛けることが当たり前の社会。本人が大丈夫ですと言えば、気をつけて、と温かく声をかけて見守る。決して本人の意思や人権を害さない。

 

「バリアフリー」という言葉がある。

これは、高齢者や障害者などに対し、建物等に置けるバリア=障害を取り除く、という意味で、日本でも今では広く浸透してきた。法的には「ハートビル法」として、建物などの基準が事細かに決められている。

 

もうひとつ、よく似た言葉に「ユニバーサルデザイン」というものがある。

誰にでも使える設計という意味だが、バリアフリーと似ているようで、実は大きな違いがある。

 

ここに段差ができてしまいましたね、じゃあスロープ(斜路)を付けましょう、というのが「バリアフリー」の考え方。一方ユニバーサルデザインは、初めから段差を作らないか、初めからスロープで造る。

結果としては、同じです。けど、思考プロセスには大きな違いがあるんです。生活弱者のためになにか措置をしなきゃね、というのと、初めから、全ての人が使うものだよねという考え。

 

私は幸いにして、五体満足で生まれてきまして、彼らの気持ちが全て理解できるわけではないかもしれないけれど、「特別扱い」することに差別の気持ちが含まれているのであって、彼らにとって肩身の狭い社会なのだと、彼女の言葉から感じずにはいられない。

 

日本が世界のスタンダードになるには、まだ遠い。

オリンピックまで7年。その間にやるべきことは、まだまだまだまだ・・・と何度も「まだ」を繰り返す彼女。

作らねばならないのは箱ものよりも、我々の意識かもしれない。

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