東京の地で暮らすようになって、かれこれ20年近くなる。
こんだけ住み付きゃ、あなたも完璧な東京人。
なんて言われたことはないけれど、こうして振り返ると、ずいぶん過ぎたんだなと、気づく。
住む場所も、仕事場も、何度か変わり、その度に生活環境は変わってきた。
今の仕事柄、あちこちに出向くことが多く、そうすると必然的に、かつて住んでいた場所、仕事で通っていた場所に再び足を運ぶこともある。
本郷三丁目。
ここは、かつて仕事で通っていた街で、東京に来て初めての仕事場だった。
東京の、ほぼド真ん中に位置する割に、東京大学にも近く、当時はどこか下町っぽい雰囲気の漂う街だった。地下鉄の駅も薄暗く、まさに「地下」の鉄道、まんまといった感じ。
が、今では、丸ノ内線に加え大江戸線の駅もでき、駅構内もずいぶん改装されて綺麗になった。
当時の薄暗い面影はない。
かつてあったレストランには、貸店舗の貼り紙が貼られる一方、以前にはなかったお店やビルが街を彩る。
20年近くも経てば、変わって当然か。
そんな郷愁とも哀愁ともわからぬ、複雑な気持ちが押し寄せる。
できれば、訪れたくない場所。
東京に出てきて、初めて仕事に通い詰めた場所であったが、自身にとっては暗い海の底で生きていたような数年間だった。
できることなら、その数年間を記憶から消し去りたいけれど、こうして再びその地に立つと、否が応でも思い出す。
しかし、不思議と穏やかな心境の自分に気づく。
20年という時間が、記憶を風化してしまったのか、当時の面影を残しつつ、ガラリと変わった街のイメージが記憶を風化させてくれたのか。
「Gentrification(ジェントリフィケーション)」という言葉がある。
低所得者層が住む地域に、富裕層の人々が流入していく現象をいうのだが、これによって、街全体が高級住宅街に変わり、街の雰囲気が変わるだけでなく、地価高騰により家賃も跳ね上がって、低所得者層は、街を出ていかざるを得なくなる。
高級化した街は、治安もよくなり整然と綺麗になる一方、旧来の街のアイデンティティが失われるということが起こる。
このジェントリフィケーションが起こる原因はいろいろあるけれど、大抵は国や自治体の政策によって、地域の開発が進められることによる。
利便性と経済効果を狙った地域開発は、歓迎されると同時に、往々にして街の個性を奪い、人々の記憶を消し去り、時に地域住民をも他へ追いやり、とかく批判されることが多い。
ただ、今回のように、変わってしまった街のイメージが、負の記憶を風化してくれることもあるのかもしれない。
交差点に建つ交番。薬局。
当時のままの姿に、記憶が甦りつつも、どこか遠い懐かしさで映し出してくれるのは、それらを取り囲む周りの匿名性ゆえではなかろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、重ねた年月の長さを思い、街を後にする。