「土壌汚染」
と聞くと、建築屋や不動産屋は、ピクッとこめかみが動く。
文字通り、土壌(地盤)が汚染されているということなんですけど、人体に悪影響があるとされる有害物質が、土中にあるという意味で「汚染」と表現する。
さあ着工だといった矢先に、これが発覚すると、一同蒼然、どこからともなく大きなため息が漏れてくるような、重い空気に包まれる。
汚染のレベルにもよるが、場合によってはその対策費用に、莫大なコストがかかるから。
んなもんで、通常は土地売買の際に、事前に調査を入れてリスク負担を軽減したり、売主にその責任を一部担ってもらう。
有害物質とされているものは、大きく分けて3種。
ジクロロメタンとかベンゼンなどの揮発性有機化合物。(これは、ちと厄介。フワフワ飛んでっちゃうからね。)
鉛や水銀などの重金属。(これは、そーっとしておけばOK。当たらず触らず臭いものにはフタ。でも地下水に溶けると厄介。)
あと、毒性の強い農薬やPCB。
これら有害物質の濃度が一定基準を超えると、汚染された地盤とみなされる。
ただし、必ずしも対策を強いられるわけではない。
要は、汚染物資の種類や、その土地をどう使うかにもよる。
ちなみに、放射能はこれに含まれない。
脱線するけど、原発事故で除染って騒がれていましたけど、広島と長崎の原爆投下後、除染作業って、たぶん行われていないよね。あれってどうなの?的な。
ところで、ここ東京においては、特に中央、墨田、江東の一部あたりは、掘れば必ずといっていいほど出る。
建築屋の間では、もう常識になっていて、あまり驚くこともない。
ほとんどは鉛。
そう、東京大空襲の焼夷弾によるもの。
重金属なので、いじらず、そーっとしておけば、直接人体中に入ることはない。
建設現場では、汚染物質に限らず、掘削すると、実にいろんなものが出てくる。
知人の現場監督さん曰く、都心で掘削してたら、人骨出てきたことあるよって言ってた。不発弾ってのもあるらしいww。
あ、もちろん、役所に持ってったって言ってましたけど。
さて、おもむろに土壌汚染を思い出したのは、全く関係のない、ある映像を目にしたからなのですけど、それまでにも、何度も同じような映像は見ていたにもかかわらず、なぜか、その時は感情よりも理性が働き、冷静に見ている自分にちょっと驚いた。
1994年に始まったルワンダ大虐殺。
今では映画化もされているので、その惨状は広く世界に知れ渡っている。
ワタクシも、初めは映画、つまり作られた映像で、当時の状況を知った。しかしそれは、あくまで作られたイメージだ。けど、あまりの無惨さに、背筋の凍る思いがしたのを覚えている。
ところが、先日、とある講演にて、このルワンダ虐殺の映像に再び出会うことになる。
多分、それは本物の映像。おそらく国連関係者によるものと思われる。
フツ族の民衆がツチ族の民衆に襲いかかり、ナタで切り倒すその瞬間、つまり人が殺されるその瞬間(空中から撮影されたものだと推測される)、そして、道端に無数に横たわる屍体。
規律上、武力介入ができず、ただ外から眺めるしかなかった当時の国連が残したものだと思われるその映像は、まさに映画のそれと、ほぼ同じなのだが、なぜだろう、不思議と冷静な自分に驚いた。
そして、不謹慎にも、無数に横たわる屍体を、どうやって片付けたのだろう、なんてアホなことを思ったりしたのだ。
100日間で100万と推定される屍体。灼熱の大地では、数日のうちに腐敗してしまう。一体どうやって。
こんなこと考えてる自分は、頭どうかしてるのか。とちょっと引いた。
こうした大量の屍体は、もちろんルワンダだけではない。
今まさにこの世界のどこかで、無数の遺体が横たわる。
ここ日本においても、一瞬のうちに地面が屍体で埋め尽くされた過去がある。
そして、そのまま土に眠り、誰にも発見されることなく眠り続ける遺体。
もちろん、戦争ばかりでない。
爆撃、放射能、がれきや遺品、そうしたもの全てを、土は抱え、今も寡黙に我々の日常を支える。
そう、我々の足元には、いつも過去の歴史が眠っている。
何気に普段歩いている、まさにその地面は、過去にも、やはり同じ地面であって、悲しい歴史も、想像を絶する悲惨な事故も、全てを見てきて、今もそこにある。
過去の過ちを引きずり、卑屈になる必要はないと思う。けど、過去の事実と向き合うことを、我々は忘れてはならないと思う。
全てを包み抱えてくれる大地が、そう教えてくれているような気がするんです、ワタクシ。