フォードの情熱とフォルクスワーゲンの野望

 

When everything seems to be going against you, remember that the airplane takes off against the wind, not with it.

by Henry Ford

あらゆることが自分にとって向かい風のように感じられるとき、思い出しなさい、飛行機は追い風ではなく、向かい風の中で離陸することを。

ヘンリー・フォード

 

ヘンリー・フォードと言えば、米国自動車メーカー「フォード・モーター」の創設者であるが、じつはワタクシ、これが彼からの言葉であることは後で知ったノダ。

この名言を聞いたとき、何をやってもうまくいかない八方塞がりの行き詰まり感に陥っていた心に、ぐっとくるものがあったわけですけど、同時に、高校時代の英語教師のことを思い出した。

彼も同じようなことを言ってな、と。

我々生徒の間では、おっかな教師として有名でしたけど、当時大学受験を控えていた我々に、彼は言った。

「勉強を続けていても、初めはなかなかその成果が見えないもんだ。しかし、助走を続けていれば、ある瞬間にふわっと飛行機は離陸する。」

ワタクシ、初めて飛行機に乗ったのは、大学に入ってからですけど、このときの英語教師の言葉を肌で体感したときは、ちょっと感動しましたよ。

文字通り、ふわっと体が宙に浮く感覚。今でもこの感覚がたまらなく大好きで、離陸の瞬間はいつもドキドキしている。

 

さてさて、飛行機ではなく、自動車メーカー創設者が、この「take off」 の感覚を言葉にしたことに意外性を感じ、フォード氏とは一体どんな人物なのかと、ちょっとだけ気になってググってみた。

Henry Ford
Henry Ford

 

生まれは、ミシガンの農家。が、農業に全く興味のなかったヘンリーは、家業を継がず機械系の職に就く。

あのトーマス・エジソンが経営する照明会社で、エンジニアとして内燃機関の製作に没頭し、ここで初めて4輪自動車を製作する。その後、デトロイト自動車会社を創業するも、業績不調で解散。しかし、カーレースに出場した彼自作の車がよい結果を示すと、何人かの出資者によってヘンリー・フォード・カンパニーが生まれる。フォードの起源とも言うべきものか。

その後、フォード車は全米に知れ渡るようになる。他の車に対して低価格であったT型フォードは、多く大衆に取り入れられた。

T型フォード
T型フォード

 

1900年代初期アメリカ経済が低迷する中でも、従業員の生活をよりよくしていくことが組織を強くすることだという考えのもと、労働賃金を2倍にするなどといった高待遇は、当時の米国社会を驚かせた。

フォード社は、一時的ではあるが第一次世界大戦中に航空機エンジンの製造も行っている。

あー、それで「take off」か。ナットク。

 

第一次世界大戦、第二次世界大戦と世界が緊張した空気に包まれる中、フォード氏は、徹底した平和主義であった。

が、やや偏重した平和主義だったとも言える。

「戦争とは、欲張った資本家が人類を殺戮することで利益を得ようとする行為」

フォード氏が言う欲張った資本家とは、ユダヤ人を指している。

ユダヤ人の貪欲さを嫌う反ユダヤ主義ではあったものの、彼はユダヤ人に対する暴力行為や迫害行為については明確に非難し、同時にユダヤ人の暴力行為についても非難している。あくまで、フェアであること、これが彼の信条のようだ。

 

1930年代、全世界生産の3分の1を占めるまでフォード車が拡大していた当時、ヨーロッパにおいてもその名は知れ渡る。

徹底的な(偏重した)平和主義、言い換えれば、反ユダヤ主義は、当時のヒトラーの琴線に触れた。ヒトラーはフォード氏の思想に、そして偉大なる成功者として尊敬し、フォード車をモデルとし、国策企業として自動車製造会社を作る。

それが、フォルクスワーゲンだった。

 

第二次大戦後、フォルクスワーゲンは英国の管理下で改組されたのだが、フォードとの違いは何だったのだろうかと、今改めて考えさせられる。

国民の生活の利便性と快適性を格段に変えていった車社会。

いかにして大衆に受け入れられ、人々の生活向上に役立つかを追求し、自動車を作り続けたフォードの視点は

常に一般国民に向いていたのではないかと、素人ながらに思う。

皮肉なことに、フォルクスワーゲンはドイツ語で「国民車」を意味するという。

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