ようやく春めいてきました。
ここ東京でも桜が咲いたとか。
冬の寒さからふっと解放されるこの時期は、暖かな日差しに心がホワッとして心地よい気分に包まれるのだが、しかし、このところの西欧の騒動には薄気味悪ささえ感じております。
トルコにしても、ベルギーにしても、私たちと何ら変わらない普通の日常生活の中で、突如降りかかる悪夢。
何の前触れもなく。
当たり前のように流れる、死者○○人、負傷者○○人、なんてのを聞くたびに、人の命はなんて儚いものなのだろう、とやりきれない。
こんな悪夢はもう最後にしてくれ、とその最後が延々と続く。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
さて、少々動揺しつつ、本題に入ります。
安倍さんが提唱している「同一労働同一賃金」に対する、とある投稿に目がいった。
筆者は同一労働に対する、サービスの対価のアンバランスを指摘しているのだが、
そー、ソレソレ、どう考えても納得いかんよねー、って思わず大きく頷いてしまったワタクシ。
まあ、日本はチップの習慣はないから、記事の前半は、あまり実感として感じないかもしれないけれど、んでもレストランとかで、何ら特別なことも何もないのに、サービス料が別途追加されるときなんか、ファミレスと何が違うんですかね?って思うワタクシは、心の狭い人間でしょうか。
確かに、ここにあるように、50ドルのワインと200ドルのワインを、テーブルに持ってきてくれるサービスに、何にも違いはない。
けれど、チップは「代金」の20%。
同じ労働(サービス)なのに、10ドルと40ドル、30ドルもの差があるざんすよ!
そもそも、チップって、サービスを受けた側の感謝の気持ちを表す心付けのはずなんですけど、どうも最近では義務のようになっているみたいですね。しかも年々高額になっているみたいで。
もう、欧米でレストランになんて行けませんわ。
チップと同じく取り上げているのが、不動産仲介手数料。きたね、コレ、コレ。
これこそ、なんで??の代表格でしょう。
不動産を紹介し、様々な契約上の手続きとか、一般個人では厄介な作業を代わってやってくれる。
んで、その手数料は、「売買価格」の3%+6万円。
3000万円の物件なら、96万円。
1億円の物件なら、306万円。
3000万円の物件と1億円の物件、仲介そのものの作業に、何ら変わりはない。
確かに、物件ごとに特殊な事情がある場合もあって、手続きがすごく厄介で労力を費やすものもあるよね。
けど、それと売買価格は無縁。
なのに、210万円の差。
どう考えたっておかしいでしょ。
210万円の対価の差はどこにあるんでしょう。←きっと、誰にも答えられない。誓って言う。
ま、そもそも、法律がダメダメなんだけど、お偉い方々は一向に改定しようとしない。
3%+6万円を上限として手数料を得ることができる、とする宅建業法の規定は、仲介という労働そのものが考慮されたものでもなんでもなく、単純発想としかワタクシには思えない。
不動産業者にとっては、この手数料がすなわち売上になるわけだが、他の業界にある商品の価格競争のように、不動産業界において、この手数料の価格競争という現象は未だかつてない。
3%+6万円は、あくまで上限であって、必ずその料率を受け取らなければならない、というものでないにも関わらず。
なぜか。
不動産売買は、一般商品ほど頻繁に取引が行われるものではないから、もらえるときにもらえるだけもらう、という慣習が根付いたということかもしれない。
そうそう成立するものでもないのに、価格競争なんてしてたら、干上がってしまうわい、と業者同士、暗黙の了解で、誰も手数料の値引きなんて言い出さなかった。
そして、未だ情報のやり取りはガラケーとFAXという老齢にして現役のブローカーが幅を利かせるこの業界で、その古い慣習が今も続く。
刷新なことをしようものなら、締め出されてしまう。
あれ、どこかの世界と似てません?
政界だ。(正解!ってオヤジギャクが飛んできそうな政界ですわ)
労働(サービス)の対価を測るのは、そんなに単純なことではない。
確かに熟練者と経験の浅い者とでは、同じサービスでも違いが出てくることはある。
同一労働を考えるには、「同一」の定義づけが難しいところではあると思うけど、手数料を代金の料率とするのは、なんか違うよねってお話でした。