例年のごとく、年が明けての数ヶ月は、怒涛のように過ぎてゆき・・・わ、気づけばそろそろ南の方では、桜の便りが届く頃ですか。
すごくありきたりな表現ですけど、「やっぱりきれいだな~」と、いくつになっても感動できることに、つかの間の幸せを感じる今日この頃でゴザイマス。
一昨年になりますか、長崎の軍艦島が世界文化遺産に登録されましたね。
当時はへえー、、、くらいにしか思っていなかったのですけど、
まあ、はっきり言って廃墟だし、遺産登録ったって、どないして保存していくねん?
なんて、冷めた目で見ておりました。
「軍艦島」は、その様相からそう呼ばれるようになったらしく、正式名称は「端島(ハシマ)」。知らんかった・・・。
長崎の野母半島から北に少し離れたところにある。
(ちっちゃくて見づらいけど、真ん中にポツーンとある島)
江戸末期、ここで石炭が発見され、明治になって三菱が採掘権を取得。
その後、島の半分以上を埋め立て、海底炭鉱へ続く坑道の入り口が設けられると、周囲はぐるりと堤防で囲われる。
もともと岩礁だった島は、高いところで40mを超える岩山が周囲の堤防からニョキッと頭を出し、その姿がまさしく軍艦を連想させることから軍艦島と呼ばれている。
炭鉱の開発とともに、採掘に従事する鉱夫たちの住まいとして、島の裾野に集合住宅が次々と建設されたわけですけど、日本の住宅建築史を辿っていくと、どうやら、鉄筋コンクリート造の集合住宅は、ここ軍艦島のそれが第1号らしい。
まあ、当初としては、都市計画なんて洒落たものはなく、必要に迫られて次々と無秩序に作られていったんだろうってことは、容易に想像できる。
建築のルールもへったくれもない時代、雨後のタケノコのように出没し、果たして出来上がった住宅群はある意味超越した芸術とも思える様だと、驚嘆する人もいる。
さて。話を現代に戻そう。
昨年だったか、何かの記事(隈さんの対談だったかなー)を読んでいて、ワタクシ後頭部をガツンとぶん殴られるような錯覚を覚えたことがあります。
近代日本の、情緒のかけらもない画一的な都市風景を生み出した元凶は、集合住宅だという。
古来の伝統にとらわれることもなく、そうした伝統工法を身につけた職人でなくても作れてしまう、良く言えばユニバーサル、悪く言えば誰でも作れてしまう建築が、日本の建築文化を破壊していると。
コルビュジェが世界に広めた四角いコンクリート建築は、モダニズム建築として量産応用が可能な建築のユニバーサル化を目指したと評される一方、独自の文化を背後に追いやることになったとも考察する。
いや、衝撃的でした。というか、怯みました。
今までマンション作ってた人間からするとね、自分が今までやってきたことは何だったんだろうって、ちょっとだけ凹みました。
言われてみれば、そうかもしれない。
さも素晴らしく、さも最もらしく、どんだけ素晴らしいものができるんじゃ!と思わせる綺麗ごと並べてはいるけれど、作り手の社会的責任なんて、薄っぺらい表面的なものでしかなく、結局のところいくら儲かるか、ですから(爆)。えげつないですけど。
そんなこんなで、ワタクシ撃沈したわけですが、ここで「軍艦島」なわけであります。(おー、やっと繋がった)
いえ、軍艦が撃沈ってオチではなくって、軍艦島に作られた集合住宅、労働者定住のために必要に迫られて作ったものだけれど、結果として、社会的に恵まれない人々、とりわけ労働者階級の生活の向上に寄与したと、書籍の中で松葉一清さんは言う。
わずか490m×165mの島に5000人が暮らす超過密集落、見方によっては、生産増強の為に小さな島に閉じ込められ、簡単には抜け出せない煉獄と見えるかもしれない。
けれど、当時の甚だしい格差社会の中における労働者たちにとって、毎日安心して寝食できる場所、安定した生活基盤があることは、夢のような生活だった。
中庭に設けられた共同洗濯場は、住人たちの憩いの場であったに違いない。
住棟が次々に建設されるにつれ、娯楽のための映画館や寺院などもでき、冠婚葬祭までも行われるようになる。そう、立派なコミュニティが形成されていたのです。
欧州においても、産業革命による工業化が広がるのと同時に、労働者の住居として集合住宅がどんどん作られ、恵まれない下級層たちにも快適な生活の場を提供する動きが広まった。
こうして見ていくと、貧富格差の激しい時代、必然にせよ偶然にせよ、恵まれない人々が人間らしい一定水準の生活の場を持てるために出没したのが集合住宅であり、そして平均してみれば、確かに下級層の生活水準は向上したと見ることができる。
どんなに味気ない、無味乾燥の何の変哲も無い、ただの四角いコンクリートの箱かもしれないけれど。
まあ、そうは言っても、今じゃ、普通のサラリーマンじゃ手の届かないくらいマンション価格が高騰しまくっておりまして(特に都心は壊滅ですナ)、逆に格差が広がってるしww・・・・というのも皮肉な現象といいますか、時代の流れなのでしょうか。
学生時代、造形美術の授業で、訳も分からず洋雑誌から選んでデッサンしたモデルが、アムステルダムにある集合住宅「ダヘラート」と知る。
松葉さんの書籍で目にしなければ、多分一生知らないまま部屋の片隅に置かれたままだったな、コレ。