迷走を極める新国立競技場

 

ようやく決まったようです、国立競技場の解体。

ざっと2ヶ月遅れで。

建設費の高騰で、入札不調に陥っていたものの、準大手業者を退けて、埼玉のあまり名を聞かないマイナー業者が落札したようであります。

再入札もやはり、大手は厳しかったようですな。

まあ、何はともあれ解体が決まったということは、すったもんだ言ってた改修案というのは、無くなったわけであります。

 

しかし、これで片付いたわけではなく、新国立競技場の建設については問題山積み、先の見通し全く立たず、迷宮入りしたまま出て来れないんじゃないかと、我々は外から傍観するしかないのであります。

そう言えば、最近、高山さん鳴りを潜めてますけど、どうしたんでしょうね??

散々際どい路線で叩いてましたから、どっかの団体から圧力でもかけられているんでしょうか?…さもアリナン。な~む~

 

新国
資料:日本スポーツ振興会

 

さて、当初のザハさんの案を少し変形させて、基本設計進められているようですが、それでも莫大な建設コストと維持費に変わりはなく、果たしてこれを本当に作るのか?という議論は、未だに根強く反対派から上がっておりまして、ついに槇さん、自ら考え出した案をメディア関係者に公開したようです。

 

いやー、槇さんの真意は分かりかねますが、異例のことでしょうねえ。

スゴイ執念です。

単に口先だけでなく実際に頭と手を動かして、自らの主張の正当性を示す姿勢は、ある意味尊敬ものですわ。

理論的に攻める姿勢というのは、やはり本物の技術者だと思います。

 

えっと、以前のエントリーにも書きましたけど、様々な案を前にして、ワタクシのような平平凡々の者が、あーだこーだ賛否を申し上げるなんぞ、恐れ多くてできるわけではございませぬが、敢えて言わせてもらえば、あそこまでザハさんの案を変えてまで、固執する必要あるの?と。

↓当初のコンペ案

資料:日本スポーツ振興課
資料:日本スポーツ振興課

多分、張本人が一番落胆しているんじゃないか、と思うんですけど、彼女が意図してこだわったと思われる流れるような美しさが半減している。

や、正直、これならもういいじゃん、って思いましたよ、私。

 

繰り返し述べますが、私はザハさんの案に賛成の立場でも反対の立場でもありません。ただ、コンペの仕組みは、他の方々がご指摘されていますようにマズかったでしょうな。

 

思うに、建築とは、人間の様々な営みの「場」を提供するきっかけとなるものであって、決してそれ自体が主役となるものではない。

まあ、中にはモニュメントのようなものもありますけれど、人が使って初めて輝くものと思うのであります。

が、しかし、往々にして建築家というのは、(決して皆さんがそうだと言うわけではないのですが)エゴイズムな傾向がありまして、とくに著名な方々に多く見られるようであります。

そして、皮肉なことに、エゴイズムであればあるほど、注目を集めやすいというのも事実であります。

批判を覚悟で言えば、私はこの建築家のエゴは好きではない。

 

新国立競技場に話を戻すと、デザイン面はもちろん技術面においても、どうも、この注目性、いかに世界から注目されるのものになるか、に焦点があてられ過ぎた感が否めない。

気持ちは分かりますがね、1964年であればいいんですよ。

もはや、「世界に誇れる日本の技術」なんて、ドヤ顔している場合ではなくて、そんなものは6年もすれば特別でも何でもなくなっていますから、もっと、別の方向に力を注いではどうかね?と思うのであります。

 

外国人たちにとって訪れやすい国にするにはどうすべきか、国民の国際感覚を高めるにはどうしたらいいか、とかね。

ただでさえ閉塞的って思われているんだから、ただ単にハコモノに精を出しても誰も見向きもしないっしょ。

どう?

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