建築家という職業

 

子どもたちに「将来何になりたい?」と尋ねると

男の子・・スポーツ選手、警察官、運転手、消防士

女の子・・パン・ケーキ・お菓子屋、タレント、花屋、保育士

年代によって入れ替わりがあるようですけど、ここ十年ぐらいは、だいたいこれらの職業がトップ3に入っているようです。

 

まあ予想通りではありますけど、建築家とか設計士なんて、トップ3どころか、トップ10にも入ってませんがな。

そりゃ、そうだろね。

実際、お父さんとかお母さんとかが建築の仕事をしていない限り、建築家ってナニする人?って言うぐらい影薄い職業なんだと思う。

ちなみに、欧米などでは、建築家がトップ3に来るらしい。

なんなんだ、この違いは。

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まあ日本の場合は、職業として建築家というのが一般化されたのも近年のことで、昔から建物を作る人=大工さん、が一般常識として浸透していたから無理もない。

歴史的に見ると、建築家というのは、貴族に雇われる身であって、言うならば、芸術家に近いものがあったわけです。

宮殿やら教会やら、建築が権力の象徴であった時代、貴族は有能な建築家のパトロンとなり、彼らに自らの権力を示す建築を作らせたわけです。

このように、欧米では、建築家という職業が、今と少し形態は違っても一応、職業として確立していたわけです。

なわけで、一般的にその職業としての存在は知られているし、なりたい職業のトップ3に入るほど、子どもたちにとって憧れとなる職業なんですな。

 

ワタクシ、まあ建築家というには、ほど遠い身ではありますが、一応建築を生業として生きております。

なんで、建築をやろうと思ったかって?

思い起こせば小学生。

ウチは決して裕福とは言えない家庭でして、ずっと社宅住まいの生活だったのですよ。

それでも、両親はなんとか我が家を持ちたいと思っていたらしく、時折、モデルハウスが並ぶ住宅展示場などに、出かけておりました。

それで、家にはパンフレットやら、ハウスメーカーの営業マンが持ち込む下書き用の方眼紙やらがあって、勝手に自分の住みたい家を、思うままに描いておりました。

狭い社宅を抜け出し、宮殿のようなお屋敷に住もう!

不思議の国のアリスじゃないけど、そりゃもう妄想の世界にどっぷり。

なんていうか、この夢にどっぷり浸れる時間が、至福だったんですな~。

 

まあ、よくある話。

憧れというか夢があったんですわ。

えー、もちろん、そんなもん、現実社会に入ったら、こっぱみじんにフッ飛びましたがね。

紆余曲折ありましたけど、なんだかんだいって、今も建築のケの字にぶら下がって生きているのは、やっぱり子どもの頃の、あの純粋にワクワクした気持ちが忘れられないせいかもしれないって、時々思うんです。

 

んでね、なんでこんなことをダラダラ書く気になったかというと、先日、故黒川紀章さんの事務所(現在は息子さんが代表をされています)が民事再生に入ったと聞いて、なんというか、建築家の仕事とは、かくも儚いものかと。

http://www.tsr-net.co.jp/news/tsr/20141215_03.html?s=rss

陽光の中
国立新美術館(黒川紀章建築都市設計事務所)

 

著名であれ、無名であれ、建築に携わる人たちはみな、少なからず建築に対する憧れや夢のようなものを心の中に秘めている。

程度の差こそあれ、少なくともそうした、ふんわりとした温かいものを、胸の内に持っているんです。

 

しかし、いざ経営となると、これはもう、ビジネスの世界。

少年のような純粋な情熱と、ビジネスとしての冷淡さが、時として相容れなくなるのは珍しいいことではない。

過去の歴史からも見て取れるように、建築家は貴族のお囲いとして、お金を工面することに頭を使う必要なく、仕事に没頭することができる環境で、自らの才能をぐんぐん伸ばすことができた。

すばらしい才能を持った建築家が、すばらしい経営者であるというわけではなく(もちろん、両者の能力を兼ね備えた人もいらっしゃるでしょうが)厳しい選択を迫られることは往々にしてあるわけで。

社会に存続するために、自らの情熱を押し殺さなければならないことは、建築家に限った話ではないけれども、普通にあるわけで。

まあ、それが現実社会だと言ってしまえば、身も蓋もない話ですが。

 

将来を担う子どもたちには、現実社会にぶつかっても、心の中に秘めた情熱を持ち続けて欲しい、そして自らの職業に誇りを持って欲しい、オバハンはね、そう思っとりますよ。

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