かつて、ワタクシ、不動産開発業で働いておりました。
いわゆる、デベロッパーってやつです。
そう、あの胡散臭いデベロッパーってやつですわ。
(デベの皆さん、失礼。でも半分以上の人たちが、少なからずそういう印象を持っていることはマチガイナイ)
ドカドカと入り込んできたと思ったら、なんや、エライでっかいもん作りよるで。オイオイ、ちょっと待てー。お前ら何しよんねん。
一言に、不動産開発と言っても、そのやり方にはいろいろありまして、まあ、一般的には地主が売却した土地を買い取って、新しくビルなりマンションなり作るわけですが、中には、そこに今住んでいる人たちに立ち退いてもらって、一帯の土地を収用する場合もあります。
んで、ご存知のように、こうしたケースが一番もめる。
ここに新しいものつくるから、どいて、って、そりゃ、誰だってカチンときますわな。
今世紀(いや、もう前世紀か)最大の立ち退き紛争といえば、成田空港建設でしょうか。
まあ、これは行政と地元農民との紛争でしたけれども、未だ残る反対派の家屋を、つい最近解体したとか何とか。。けど、まだ未買収の土地がある。
最後まで、抵抗した住民の家屋を回避するように、成田の誘導路はへの字に曲がっている。
こうした紛争があったことは、ワタクシ、中学の社会の授業で教わったわけですけど、教科書に載ってた、必至に土地にしがみつく住民の写真に、ショックを受けたことを、今でも覚えている。
生前から生後の間もないころの出来事ですから、詳しいことは分かりませんが、衝突により、何人もの人が負傷し、亡くなり、殺人事件まで引き起こされたこの紛争、まさに、国と地元住民の「戦争」だったのだと思います。(未だ完全に解決には至ってないようですが)
それを思うと、今の安保法制だの新国立競技場だの、いいか悪いかは別として、ものすごくおとなしい反対運動に見えてしまう、ってのも皮肉なものでしょうか。
国家の成長とともに、国民自身も成長したということなのでしょうか。(何を持って成長というかはありますが)
さて、話を戻すと、この開発事業にとって、こうした紛争とは、切っても切れないものがあります。
当り前ですが、そこに、今までにない何かができることによって、いいことばかりではないから。
そこが、開発業者と地元住民との利害の衝突になる。
ワタクシも、開発業者時代、何度か近隣住民との諍いに直面したことありました。まあ、そんなに大きな事業ではなかったので、紛争というほどのものでもありませんでしたけど、大体デベさんってのは、もう、こうしたことは当然、みたいに構えてて、予めこれに費やす予算も組んでます。
こういう、言い方は少し失礼かもしれませんけど、大体お金で解決してしまうから。
もちろん、その地域の環境を守ろうとする高い志を持っている人たちもいます。
でも、中には自分の利害だけを主張して、モロにお金を求めてくる人もいます。
法律上、建築が不可能ではないものに、行政がストップをかけることはできません。従って、デベはそれを盾に、腰は低いが強気なわけ。ただ、あんまりゴタゴタ言われて、工事が遅れるのもかえって損害になってしまうので、お金でさっさと片付けてしまう、ということなんですな。
こうしたやり方が、事業のスムーズな進捗に必要だということは、よく分かる。結果として丸く収まればいい、みたいな。まあ、好きですよね、日本人の性格として。
ただ、作り手として思うのは、新しく生まれるものがあるってことは、失うものもあるってことだ。
目に見えるものか否かに関わらず。
失うもの以上に、生まれるものがもたらす利点が大きければいいだよねって、確かにそう。
でも、人の価値観てのは皆同じじゃない。
新しいものが生み出されることによって、幸せになる人と不幸になる人がいるってのは、現実問題として真かもしれないけれど、だからといって、そんなんしゃーないやん、補償すればええやん、で終わらせたくない自分もいるわけで。
全ての価値観を共有し、それぞれを尊重することは無理かもしれない。
けど、新しいものを生み出す価値、それに注ぐ情熱を、一体何人の人が語れるのだろう。
30年以上も経った後、成田空港の反対派の一人が、所有土地売却に承認する。
「若者が世界に飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」と。
時間の経過が思考を変えたのかもしれないし、彼自身が高齢化したこともあるだろう。
しかし、建設当時、空港をつくることの価値、将来の夢や希望、そういったものを熱く語れる人は何人いたのだろう、と思う。
いや、いたかもしれない。そう願いたい。
けれど、それが語られる場が極めて少なかったのか、不幸にして、この衝突が死者を生むことになった。
生まれ出ずるもの。
作り手の情熱があってこそ、それが後世に、愛され親しまれるものになると、ワタクシ、思います。
茶番劇にも見える、新国立の責任回避転化に、ふと、悲しくなった次第でゴザイマス。