猛暑日連日記録かと思えば、先日は8月の最低気温記録。
地球の気候がオカシクなっていることを実感する今日この頃。
いやほんと、気候変動マジで大変なことになるんじゃないかと。
ということですが、今日はちょっと教育について考えてみようと思います。(何の脈絡もなくww)
おもむろにそう思ったのは、先日の某知事の発言がきっかけですけど、あー、言っちゃったね・・・的な。
えと、ワタクシ、こう見えて一応リケジョであります。(←もう死語か??)
なもんで、数学、高校の科目の中でもめっちゃ好きでしたよ。
理論を一つづつ組み立てていって解に至る、あの爽快感は、なんとも言えませんわ。
某知事がおっしゃるsin、cos、えーえー大好きでしたよ。
三角関数の公式、20年以上経った今でも、そらで公式言えますぜ。
サイン コサイン コスサイン、コスコス マイナス サインサイン♪
イチ マイナス タンタンぶんのタンプラスタン♪
受験生のために、記述しておきます。
sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβ(←ここが、サイン コサイン コスサイン)
cos(α+β)=cosαcosβーsinαsinβ(←ここが、コスコス マイナス サインサイン)
tan(α+β)=(tanα+tanβ)/{1ー(tanαtanβ)}(←ここが、イチ マイナス タンタンぶんのタンプラスタン)
(ちなみに、左辺のマイナスバージョンは右辺のプラスマイナスをひっくり返す)
いや、我ながら、10代の新鮮な脳に焼き付く記憶というのは、強力なものがあるなと、驚くばかりでございます。
これね、高校時代の数学の先生(アル中という噂のちょっとアブナイ先生だった)がね、授業中、何度となくボソボソ呟くもんだから、ワタクシたち、しまいに耳にタコができるようになった。
おかげで、受験勉強は大変助かりました。
今は亡き、アル中(?)先生のおかげです。
確かにね、これらの数学の知識、卒業後、社会で役に立ったかというと、ハイ、実社会では一度も使ったことはありませんね。せいぜい、ピタゴラスの定理ぐらい。
某知事のおっしゃるように、三角関数なんぞ、特定の技術者とか数学研究者とか、ごくごく限られた職種だけであって、実社会で使うことなんてまずない。
まあ、男性女性という性別についてはおいといて。たぶん、男性の中でも、ほぼいないでしょう。
ここで、思うに、義務教育を含め学問とは、生きるための目的とか手段以上の意味を持つものと、ワタクシ考えるのであります。
三角関数を知らなくても、微分積分を知らなくても、世の中生きてくことはできます。
が、学問を学ぶということは、単に生きるための手段ではなく、未知の世界を知る喜びであり、新しい発見を見出す可能性であり、それが、心の豊かさとなるものであると思うのであります。
資源も何もない小国の日本が、明治の文明開化後、急速に進化した理由の一つとして、一般庶民レベルの教養の高さがあったとされています。
江戸時代、鎖国で国は閉ざされていたものの、寺子屋によって一般庶民レベルで読み書き、計算などの教育が行われていたことが、平均して庶民の生活を豊かにし、独自の江戸文化を生み出したとも言えるでしょう。
知らなくても生きていける。
けど、学問を学ぶことにによって、豊かな心を育み、豊かな人生を送ることができるんじゃないかと。
そう、教養とは、心の豊かさである。
もう一つ付け加えるとね、寺子屋もそうだけど、学校という一つのコミュニティの中で学ぶってことは、子供の社会性を育む機会でもあるんじゃないかと思うのです。
自分は、ある集団(社会)の中の個であると。
そこに、協調性とか責任とか、家庭の中だけでは学べないものを子供達は学ぶんだと思うよ。
子供のころは、学校うざいなー、どうやってサボってやろうかと考えておりましたけど、今になって振り返ると、まともに学校に通わせてもらえた境遇に感謝する次第であります。
世界を眺めると、まだまだ識字率の低い国は多くありますから。
読み書きができることが当たり前の環境にいると、教育というものの意義を忘れてしまいそうになりますけど、貧困、紛争、差別、もろもろのことが、この教育につながるのではないかと、ワタクシ思うのでアリマス。