世界中のどこかで、今この瞬間にも、
なぜ自分に銃口が向けられるのかわからないまま、
息をひきとる人たちがいる。
スマホのニュース速報にこの事件が流れてきたとき、こんなに世界中が注目するとは思っていなかった。
だって、こうした悲劇は、西欧に限らず、ありとあらゆる場所で起きていて、いささか、もう、お腹いっぱい、正直もう驚きもあまり感じないほどに目と耳が麻痺している状態だったので、あー、また来たか、という感じだった。
けど、なんかすごいことになっとる。
スカイツリーまでが、三色になったのには・・・ちょっと驚いた。
んじゃ、先月のロシア機墜落の時はどうなの?的な。
ちょいと、三色の配置を変えるだけだと思うけど。
まあ、えっか。
確かに、ヨーロッパ、とりわけフランス、パリは世界から観光客が訪れる人気の都市であることは間違いない。
かく言う私も、ヨーロッパで第一に訪れたのはパリだった。
ニョロっとヒゲの生えたようなフランス語は、全く読めず、ガイドブックとにらめっこしながら、ホテルの場所を探す。
朝の通勤時間帯。
不意に、背後から女性の声がして、「どこに行くの?」(英語で話しかけてくれた)
ガイドブックの地図を指し、ホテルの名前を告げると、途中まで案内してくれた。
「いつも時間通りに会社に行っているから、たまには遅刻したっていいのよ」
並んで歩きながら、彼女はそう言って微笑みかけてくれた。
その大らかさと、さらっとこういうことが言えてしまう心の広さに、チッコイ島国から来たチビ娘(当時のワタクシ)は、ただただ、ボーーと圧倒されてしまったのサ。
6月の初夏、夜の9時を過ぎても、外は明るく、文字通り一日中パリの街を歩き続けた。
初めて見るヨーロッパの街並みは、歩いても歩いても、飽きることはなかった。
パリの魅力に取り憑かれて、それからも幾度か訪れているけど、この街はどこか懐かしい、そんな思いを抱かせてくれた。
今回の襲撃が起きたあたりも、近くをウロウロ歩き回った(というか、大体のところは歩いている)し、安いホテルも多いので、ここら辺によく泊まった。
当時のパリは、移民に対して寛容だったため、多くの移民がこの辺りに住んでいたという。
賛否両論はあるけれど、遅刻したっていいのよ、と笑いかけてくれた彼女のように、他国の人々に心を開いて接してくれる、そんな温かさが、今回の事件によって、パリを含めヨーロッパの都市の人々に、どうか心の壁を作らないでと、願うばかり。
暴力によって鎮圧することが、ただ憎しみと悲しみを増幅し、新たな暴力を助長するだけだということは、もう、みんな気がついているはずなのに。
自分が直接被害に遭っていないから、そう言えるのかもしれないけど。
そうだよな。
もし、私に銃口が向けられたら。
もし、私の眼の前で家族が殺されたら。
たぶん、私は相手を殺してやりたいと、心から相手を憎むだろう。
彼らが我々を敵とみなしてしまった今となっては、難しいかもしれないけれど、直接の憎しみが生まれていない関係の中で、直接戦火を交えていない仲介役として間を取り持つ役目が、我々にはあったのではないかと、今となっては遅い話だが、そう思うことがある。
また、ぷらぷらとパリの街を歩いてみたくなった。
犠牲となった皆様のご冥福をお祈りします。