昨日のエントリー
きっかけは、ある一般の方からのこの質問
『東日本大震災で、姉歯さんの建物は倒壊したのですか?』
だったのだが、既に過去となった事件に対して、
未だにこういう問いかけがあるというのは、この建築の世界が一般の人にとって、なんだかよくわからん特殊な世界だ、という印象をもっている証拠じゃないかと考える。
よくわからんけど、みんなが危ないってゆーから。
なんかよくわからんけど、国のエライひとが、危ないゆうてるでー。
ぶっちゃけ、私も分からんです。
少し詳しい方ならお分かりのことと思いますが、建築は意匠(形やデザイン)、構造、設備という3分野に分かれてまして、同じ建築士といってもそれぞれ専門があるんざんす。
で、圧倒的に多いのが意匠専門。
構造、設備はちょろちょろ、といった具合で、超超マイナーな専門職。
一括りに建築士っつっても、意匠専門の人間が構造や設備まで詳しいかっていうとそうではない。
一つの建物を設計するにあたっては、構造部分は構造設計者、設備部分は設備設計者が担当する。
(例の事件以降、構造設計一級建築士・設備設計一級建築士という正式資格名ができた)
で、例の事件でも問題視された一つに、審査機関が見抜けなかったという点がある。
まー、当審査機関は、業界でもズブズブ審査っていう噂があったのは事実だが、しかし、現実的に、膨大な構造計算資料(中規模程度のマンションで数センチくらいの厚さはある)を一つ一つ数値を追ってチェックするのは、不可能に近い。
「大臣認定プログラム」での計算が義務づけられているのも、このプログラムで計算された結果なら間違いないでしょう、と審査側が、あ、うんで確認できるようにしたという理由もあるんでしょうな。
実際に、不正が発覚したのも、審査機関が独自に見つけたのではなく、外部からの告知があり第三者機関が内部監査に入って明らかになった。
裏を返せば、それだけ彼ら(構造計算をする側)の独占フィールドなわけだ。
正直、私もこんな計算書をドサッと目の前に出されても、なんのこっちゃ??でお手上げざ〜ます。
もちろん昔からこんな高度なプログラムが存在していたわけでない。
私がまだ、はな垂れ小僧(一応♀)の頃は、みな手計算で行っていたそうな。
今みたく複雑じゃなかったというのもあるけど、
だから、意匠屋も現場監督さんも、ある程度のことは理解できとったし、間違いがあれば気づいたわけさ。
高度に発達した技術と複雑化、極度に狭まった専門化が生み出した惨事だったと言えるのかもしれない。
技術の発達は、人間社会の中で進められるべきであり、それによって、我々が受ける恩恵も計り知れないものがある。技術開発はなくてはならないものだ。
それは間違いではない。
けれど、複雑化して専門的になればなるほど、可能な限り簡略化して一般的に理解できるようコミットするべきではないかと。
建築は特殊な世界ではないし、私たちは超人類でもない。
特権階級気取りをしたい人もいるこたーいる。
(偏見かも知らんが、医者にそういった人種が多いように思うんだがね・・)
医療現場でおきる医療ミスも、極度の専門分野に居座る人種の傲慢さから起きると言ったら、パッシングを受けるだろうか。
でも、どこか似たような側面があるような気がするんですけど。