東京日本橋。
ココら一体は、街の区画が整形で、見渡す限り同じような四角いコンクリートの箱がズラズラ規則正しく並んでおりまして、ワタクシ、しょっちゅう、自分のオリエンテーションを見失い、時に全く真逆の方向に歩いていたりすると、イラッとすることもしばしば。
この均一性は、中央区の地区計画にもよるものなんですが、街並みを揃えるという意味ではいいのですが、どうも画一的なイメージが拭えない。
ま、銀座などの大通り沿いが、きれいに揃っているのは美しいと思いますが。
将軍のお膝元と呼ばれていた江戸の街。
江戸時代から、皇居(江戸城)を中心とした東京駅から日本橋辺りは、今も尚、東京の街の中心的存在である。
画一的な風景の中に、突如、江戸時代の名残が現れることもあって、へええーーと意表をつかれることもしばしば。
先日も、たまたま通りがかった日本橋小伝馬町の道すがら、突如として現れた見慣れない景色。
普通の寺か何かだろうか、とふと目をやると・・・
「江戸伝馬町処刑場跡」とある。
処刑?
調べると、江戸時代、囚人を処刑していた場所ということらしい。
昔の処刑ってのは、そう、首を斬ることで、ここで人間の首が切り落とされていたということだ。
こえーーーーーー!!!
写真に何か写ってないだろうか?
と目を凝らしたが、ワタシの目にには見えん。
誰か、何か見えたら教えてけろ。
イスラム系と思わしき顔つきの男性が、通りすがりに手を合わせ(日本式を意識してなのでしょうか)、軽く頭を下げて過ぎ去ったのが、印象的だった。
たぶん彼は、ここがそう言う場所だったということは知らないだろう。
しかし、宗教とともに生きる彼らの文化というか習性のようなものを、垣間見たようだった。
崇拝すべきものに、咄嗟に敬意を表した行動というのでしょうか。
無宗教の我々日本人には見られない、宗教国文化がなせる行いなのでしょう。
さて、そういった江戸時代の名残を残す東京も、一方ではドカドカ開発が進むようで、んま、五輪に向けた動きは言わずもがな、ですが、京橋二丁目一帯も、何やら様変わりするようでして、勢いづいた大手ゼネコンとデベさんが、ヤレ超高層だ、ヤレ免震だ、と騒いでおります。
京橋二丁目というと、あの明治屋があるトコ。
重厚感たっぷり、いかにも「オレが明治屋だ!」と言わんばかりの重々しい構えをもつ明治屋本社は、昭和8年築、東京大空襲や世界大戦の中を乗り越えてきた、昭和史を語り継ぐ貴重な文化財として、中央区の有形文化財に指定されている。
哀れ、この文化財もなくなってしまうのか、と思いきや、ここはちゃんと保存されるらしいです。
流石に、歴史的建造物を壊してしまうほどの、おバカな開発業者はいない、というか、区が認めないでしょうから、心配に及ばすなのでしょうけれど。
より住み良い街であるために、そしてより安全な街であるために、都市は絶えずその姿を変えていかねばならない。
けれど、人が生きてきた証もまた、そっと残り香のように、そこに存在してほしいと切に願うのでアリマス。