「談合時代」が過ぎ「低価格競争」そして「入札不調」の今、人員不足か金儲け主義か、消える職人魂

 

いつの世も、どんな業界も、時代の流れとともに、その様態を変えていく。

かつて、談合の表舞台(?)だった公共工事も、今や入札すら入らないという異常事態が、各地で繰り広げられている。

潤沢に税金を公共事業に投資していた十数年前では、考えられないことだ。

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談合。

どの業界でも、少なからずこうした同業者同士の馴れ合い譲り合い、お互いさま精神でうまくやっていきましょうや、という生ぬるい体質はあるのかもしれないが、こと建築業という受注生産で回る業界では甚だ著しい。

というか、業界が順調に行くためには、必要悪とさえ思っているトンでもお役人さえゴロゴロしている状態ですから、役人さんも巻き込んでの舞台劇となるわけで、事なかれ主義が大好きな日本人の体質では、決して消滅することはないだろう、と個人的には思っているのであります。

 

「この前はどうも、次はお宅でどうぞ。」「前の貸しがあるんで、今回はよろしく。」

潤沢に公共工事がばらまかれていた時代、頭を使って営業せずとも、次から次へと仕事が回ってくるという、まるで公務員になりきってしまった、建築業界。

こうした馴れ合い体質は、やがて、技術力の低下、創意工夫による低価格(Value Engineering)を生み出すことすらできなくなってしまう。いや、もうそうなってしまったのかもしれないが。

 

国や地方の債務が積み重なり、公共事業の見直しなどが行われるようになると、既に企業数や就業者数が飽和状態であった建築業界では、仕事量が激減、壮絶な受注競争に突入、「談合時代」から「低価格競争」へと流れが変わった。

生きるか死ぬか、業者間のこうした壮絶な生死をかけた受注競争は、少し角度を変えてみれば、業界の脆さを浮き彫りにする。

 

そして、今また転機が訪れた。

震災復興事業、アベノミクスによる不動産価格上昇期待でプチバブル、そして五輪。

建設需要が激増している今、資材の高騰と人手不足で、公共事業の入札に札が入らない。

「見積もり価格が予定価格を超過する」という理由で、入札を辞退する業者が相次ぐ。

 

役所側が市場価格を把握していないということもあるかもしれないが、しかし、業者側からすれば、何も薄利の仕事を無理してやらなくとも、他にもっとオイシイ仕事が待っているのだから・・、とまあ、ゲンキンなものです。

 

まあ、そう言う自分も、メチャクチャ忙しいときは、実入りの少ない仕事をやってると、何だかな~と思うわけですけど、それでも、根底にはお金以上に意思を突き動かされる何かがあるわけで。

なんといいますか、小洒落た言葉でいうと職人魂みたいなもんでしょうか。

 

たぶん、モノづくりに携わる人間って、きっと皆そういう魂を持っているのだと思う。(じゃなきゃ、こんな割の合わん仕事、誰もやらんでしょ。昔の古き良き(?)バブル時代は知らんけどな。)

その魂こそが、超人的技術やカミワザ的偉業をここ日本に残してきているのだから。

時代は変われど、人の魂変わらずでありたいものです。。

 

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