かつて、ベルリンの壁崩壊直後に、この街を訪れたことがある。
随分昔のことなので、記憶がおぼろになっているものの、強烈な印象は西と東で全く街の様子が違っていたことだった。
西の賑やかさに比べ、ひっそりと静まり返り、人通りもまばら、建物にも人の気配が感じられない、半ばゴーストタウンに近い街。
その強烈な印象が脳裏に焼き付いたまま、私の中では東欧は暗く活気のない、そしてとても遠い国というイメージが植え付いてしまった。
旧ソ連の崩壊とともに歴史的転換を余儀なくされた東欧は次々とEU加盟を始める。
当初からソ連の支配を受けず、一党独裁社会主義国であったユーゴスラビアにも、その機運は押し寄せるが、民族、宗教、言語など、非常に多様性を内包した当国では、各地域で独立戦争が起きる。
スロベニア紛争に始まり、クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、マケドニア紛争、まさにバルカン半島は紛争のルツボとなる。
単一民族である我々には、理解しがたいものだけれど、こうした民族間紛争は、何も一般市民レベルで憎み合っているわけではない。
いつの時代も戦争は、権利を握る一部の人間の利権の奪い合いに過ぎないのだ。
「昨日まで仲良くしていたのに、いきなり今日から憎めといわれてもできっこない」
これが、一般市民の本音だ。
こうした紛争を繰り返してきたバルカン半島諸国は、経済成長も遅れ、EU加盟もままならないまま周囲から取り残されていく。
しかし、NATOや国連の介入により、紛争も終焉を迎え、13年の月日が過ぎようとしている。
例えば、セルビア。
かつて破壊し尽くされた街には、レストランやバー、24時間営業のコンビニエンスストアまでも立ち並び、深夜まで人々の声が響き渡る。
コソボ。深夜に一人で歩く女性の姿も珍しくない。
こうした国々の、溢れんばかりのエネルギーは、若年世代が40%というピラミッド型人口構成にもよる。
しかし、まだまだ経済基盤は弱く、都市のインフラが追いつかない。
欧州事情に詳しい国土交通省大臣官房秘書官は言う。
「交通インフラの改善などに、日本の技術や資金を活用すべきだ」と。
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にも書いたように、まだまだ、私たちが向かうべき先はある。