イエ

 

年の瀬です。いかがお過ごしでしょうか。

今年も、もうすぐおしまいです。

 

先日、ワタクシ訳あって実家に戻ることがあったんですけどね、まあ、相変わらず汚い家だなー・・少しは片付ければいいのに、と内心思いつつ、そんでも老夫婦二人きりで住んでると、こんなもんかな、とも勝手に納得してみたり。

 

2階建の戸建。

2階には、一応ワタクシと兄の部屋(一度も使っていない)、そして和室の主寝室。

両親が今の家を建てたのは、兄もワタクシも実家を出てからだった。

将来戻って来ることを思って、私たちの部屋をしつらえたのか。

まあいい。

はじめのうちは2階の主寝室で寝ていた両親も、2階は暑い、とか言って、最近は1階の床の間が寝室になっている。

屋根断熱か天井断熱かは知らんが、まあ20年も前だと、大したもんじゃないだろな。

 

そんなもんで、老夫婦二人の居住空間は、ほぼ1階のスペースで用足りてしまってるわけで、家の延べ床のほぼ半分しか活用されていない。(物置としては使われてるが)

 

ワタクシが実家にいた頃は、ずっと社宅住まいだった。

それこそ昭和の社宅ですから、家の中のどこにいてもテレビの音は聞こえるわ、母親が長電話してるのも延々と聞こえるわ、プライベートのプの字もない、実に狭い家だった。

 

んなもんで、ずっと広い家に憧れていた子供時代。

方眼紙に、気の向くままに描いていく理想の家。

玄関のドアを開けると、上階に続く階段が大きな弧を描いて伸びていて、幅3メートルの廊下の先にはリビングルーム、自分の部屋は2階にあって・・とどんどん描いていくと、100坪くらいの豪邸になった。(一般的な戸建が30坪くらいですから、だいたい3倍くらいのでっかさ)

 

思えば、この時のウキウキ、ワクワクしながら描いていた記憶が、今の自分に繋がっているのかなと思う時がある。まあ、もう随分昔のことだからよくわからない。

 

結局、広い家に憧れを持ったまま、実家を出ることになる。

今の家は、実際にそこで生活をしていないので、実家ではあるけれど、どこか人の家にいるような感じ。

あー、やっぱり「家」って、思い出を詰める箱なんだ。

 

きっと両親は、あーでもないこーでもない、とすったもんだしながら、ようやく今の家を作ったんだと思う。住宅会社の担当者は、さぞかし大変だったろうな、って思う。

ワタクシは、両親の性格わかってるから敢えて口出しはせんかった。まあ、二人で住むんだから好きなようにせい、ってね。

 

「1%の個性」

丹下さんだったか、村野さんだったか忘れたが、建築設計のことを、こう表現した。

設計の99%は、諸々の条件で拘束されてしまう。自分の個性が表されるのは、1%。

その1%に魂を賭ける。

設計者が、1%に創意工夫を凝らし、試行錯誤を繰り返し、持っているあらゆる知恵を集結する。

そこには、最高のものが出来上がる。

 

ただ、実家を見ていると、半分の面積の中に生活スペースを凝縮して、狭苦しいゴミゴミした中で暮らす生活スタイルも、彼らにとってはきっと居心地がいいのだろうし、なんだかんだ20年そうやって暮らしているのだから、それはそれで、彼らにとっては思い入れが深いに違いない。

 

人が住み慣れた家に抱く思いに比べれば、建築屋の裁量なんて、たかが知れてる。

虚しいかな、それでも最高を求めて試行錯誤を繰り返す。

その純粋なまでのひたむきさが、好きだ。

 

皆様、良いお年を。

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