このところの雑踏と不穏な空気に飲まれて、かのリケジョ事件がすっかり鳴りを潜めているかのように思っておりましたが、池田氏の記事に、ハタと目が止まった。
彼は、鋭い視点で、オブラートに包まずはっきりモノを言う。そういうトコが気に入って、よく彼の記事は読んでいるのだが、今回も、ナルホドと思う面はあったものの、業界人(芸能人じゃないよww)の立場からちょっと一言言わせてオクレ。
彼は、STAP細胞も耐震偽装も、組織的な犯行を臭わせながら、結局のところ、個人の不正行為であるとしている。
確かにそうだ。
耐震偽装事件は、関係会社の闇の世界が暴かれようとしたけれど、結局、この事件に繋がる直接的な因果関係はなかった。あくまで彼の「独断」で行われたものとして幕を下ろした。
ワタクシ、化学の世界、とりわけ研究という世界はよくわからんので、ここではコメント控えますけれど、建築、特にデベロッパーの絡む世界においては、目に見えない圧力というものが存在するということ、ハッキリ申し上げておく。
事件の舞台となったマンション業界では、デベロッパーが設計事務所やゼネコンに、少しでもコストダウンを要求するのは、(まあこれはどんな事業、業界においても当然ですけれど)極々当たり前のようにあるわけで、大なり小なり、発注者からの圧力がかかる。
彼が発言したように、「コストダウンできなければ仕事が貰えない」というのは、発注者からの直接的な圧力はなかったかもしれないが、そうした「場の雰囲気」というのは、少なからずあったのだろうと、容易に想像が付く。なぜなら、かつて自分もデベの立場にいたから。
そして、経済設計が得意という肩書きがつくと、次々と仕事が入ってくる。
特に、あの時代、プチバブルと呼ばれ、新興デベが雨後の筍のように出現した時代、彼のような存在は、業界ではスーパースター的存在だったに違いない。
しかし。
ここで、私はSTAP細胞と、耐震偽装に係った張本人らの違いを見る。
敢えて断っておきますけれど、ワタクシ、決して姉歯さんを擁護しているわけでもなく、小保方氏を見下しているわけでもないので、誤解なきようお願いします。
池田氏も言うように、似通ったこれらの事件で唯一違うのは、姉歯さんが偽装をアッサリ認めたのに対し、小保方さんは今もなお、認めていない点だと指摘する。
この違いは何か。
おそらく、彼は苦悩に苛まれていたのだと思う。自ら不正に手を染めてしまったことに。
彼はそれまで細々と個人経営で設計事務所を営む建築士だった。
建築士って言えば、世間的には花形職業って思われたり、中には「先生」なんて呼ぶ人もいますけれど(マジ閉口するんですけど・・)、そんなの、極一握りの名の知れた、そして自分では図面を描かない建築家だけだ。
大半が、(特に細々と個人設計事務所を営む建築士は)日々の業務に翻弄され疲衰し、決して楽とは言えない経営と向き合っている。
もちろん、私は彼と会ったこともないし話をしたこともないので、彼がどういう人物なのか知りようもない。初めから精神異常者だったのかもしれないが、関係者たちが彼の出で立ちをそう表現したのは、自らの罪に苛まれつつ、それが常習化していく中で麻痺していった姿ではないかと想像する。
そう、まるで麻薬犯罪者のように。
彼は、自らの意思に負けた。
もし、彼女と彼の違いをいうならば(STAP細胞が本当に虚偽の事実だとすれば)本人に罪の意識があったかどうかではないだろうか、と思う。
池田氏はまとめとして、不正に対する法的罰則を徹底すべきだとしている。
技術者としてのモラルに反する罪は重い。
しかし、違法建築は即刻取り壊せばよい、というのは、ちょっと短絡的すぎると指摘させて頂く。
建築主と設計者および施工者が、全て知ってて不正を働いたなら、壊せばよい。
しかし、往々にして、建築主はその事実を知らない。当たり前だ。専門家でもない限りわかりっこない。まして、マンションのように、建築主が直接住むわけでもなく、全く関係のない第三者が所有するような場合、被害を被るのは、所有者である。
役所が、取り壊しを強要できないのは、第三者の被害があるからだ。
彼らへの補償問題が生じるが、一個人の建築士が、現実問題として補償なんかできっこない。建賠保険で賄えたとしても限界がある。
結局は公的資金に頼るはめになるのではないのだろうか。税金を無駄金に投入する馬鹿げたことが、またしてもあちこちで発生する。
建築とは、「国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資すること」。(←建築基準法の目的でもあるのですぞ)
違法建築は、もちろんけしからん、となるわけですけれども、謂れのない人までが不条理な思いをすることはどう考えてもオカシイわけで、法律に則るならば、人の生命と健康を守るものとなるように、何らかの形で保証できるよう是正する、というのが合理的ではないかと。
ま、頭の固いお役所は特例ってのをなかなか認めないかもしれないけどね。
ワタクシもね、一応、畑は違いますが、リケジョでありまして、まあリケジョであろうとリケダンであろうと、技術者たるものは、目の前の事実に誠実でなければならんと。
この二つの事件を通じて見えるのは、欲求と誠実の狭間で葛藤する技術者の姿である。