まるで何かに取り付かれたかのように、マレーシア航空に不運が重なっております。
単なる偶然と言うには、あまりに惨い。
前回にしても今回にしても、誰によるものか、本当のところは私には分からない。
けれど、MHは私にとって少しばかり思い入れの深い航空会社で、今でも当時のことをよく覚えている。
まだ学生だったころ、初めてパリに旅する際に利用したのが、マレーシア航空だった。
とにかく安く行く方法はないかと探しまわり、ようやく見つけたのがクアラルンプール経由南周りで行くマレーシア航空。乗り継ぎ時間を含めて、かれこれ30時間近くかかった記憶がある。
どのフライトもそうですけど、キャビンの中というのは、実にインターナショナル。特に、クアラルンプールなどのハブ空港を経由するフライトは、出発地と到着地の現地人が多いのは確かですが、様々な国籍の乗客がいて、ちょっとしたスモールワールドと言ってもいい。
初めてのヨーロッパということもあって、ドキドキワクワク、まるでお上りさんのようにキョロキョロと落ち着かない様子で、シートベルトで固定された子どものようだったのではないかと、当時の自分の姿を思い返す。
クアラルンプールで乗り継いだあと、隣り合わせたのが、アメリカ人のマダムだった。
当時の私は、(今でもそうですけど)ほとんど英語が話せず、あまり会話をした記憶はないのだが、なぜか、そのマダムのおっとりした穏やかな雰囲気を今でも覚えている。
途中、機体は燃料補給で着陸した。
私は、燃料補給をするなんてことも知らず、「あら、もう着いた!」と思って、慌てて降りる準備を始める。
すると、マダムが穏やかな笑顔を向けて、「まだパリじゃないわよ。きっとドバイだと思うわ」と静かに言う。
デュバ?(英語の発音だとデュバイに近い)ドコそれ?
当時の私は、サウジアラビアのドバイという都市なんて知りもしなかったから、頭の中がパニック状態。トンでもないところに着陸してしまったのではないかと、一人オロオロ。。
しかし、キャビンの中の乗客は皆、いたって静かに座ったまま。
今思うと、滑稽な自分の姿に赤面してしまいますけど、それでもその時は、内心心臓がバクバクしながらも、マダムの穏やかな笑顔に落ち着きを取り戻す。
機体は、無事パリに到着。実に長い旅だった。
それから数日後、ルーブル美術館で、機内にて隣り合わせたマダムにばったり出会う。
旅の偶然とは、なんて思いがけないものなのだろう。
満面の笑みを投げかけてくれたマダムの面影は、今でもはっきり脳裏に焼き付いている。
キャビンの中はスモールワールド。ちょっとした小世界だと思う。
きっと、なくなったMHの中でも、インターナショナルな心のふれあいがあったに違いない。
偶然の事故とは言いがたい、マレーシア機の不運は、このところの国家間のギクシャクした歪みを象徴しているようにさえ思う。
マレーシア航空がくれた思い出。
未来の世界が繋がることを願って、亡くなられた方々のご冥福を祈ります。