しきりに、現場実習制度をどうのこうの、人材の育成だの海外労働力を取り入れるだの、女性起用だの、人手不足の対策が叫ばれておりますけれども、建設現場の人手不足は今に始まった話ではない。
というか、時既に遅しですよ。
バブル崩壊後、建設業の労務単価は、じり安傾向にあったが、リーマンショックで暴落した。
その後民主党政権により、公共工事が一気に縮小されると、下請け会社は現場作業員を社員として抱え切れなくなり、独立してくれ、と懇願する。
フリーランスといえば聞こえはいいが、保険にも入れず、給料は日給制。いわゆる日雇い労働者だ。
このころから、現場作業員の雇用形態は日雇いというのが一般化してくる。
建設業の構造が、元請け、下請け、さらに孫請け、ひ孫・・・というピラミッド構造になっているが故、安い工事費で受注したシワ寄せは、下層部に押しやられる。なんだかんだいっても、元請けは儲からない仕事は受注しない。工事費が叩かれると、一番にコストを削られるのが作業員の労務費だ。
「ワンコイン大工」。
そこまで言われれば、職人としての誇りも何もあったものではない。
型枠を組む労務単価が、1㎡当たり500円だったことから、そんな呼称まで生まれた。
一日の給料は1万円にも満たず、重労働でこれなら、マックでバイトしたほうがまだマシかもね。
日当は安い、仕事は不安定、これでは現場作業員がいなくなるのも無理はない。
他業種に流れていった作業員は、猛烈な人手不足となった今でさえ、再び現場に戻ってくることはない。
思うに、人間にとって職とは、生活の糧を稼ぐ手段であると同時に、社会と関わり、自らの存在の必要性を認められ、人間社会の中で生きていくためのパスポートである。
社会から必要とされ、人として尊ばれることで、職に対する誇りや自信、生き甲斐を感じるものではないかと。
「日雇い」という雇用形態自体が問題なのではないけれど、それでも、「フリーのジャーナリスト」と「日雇い現場作業員」、比較されるとしたら、社会的一般通念としてどちらに尊敬の眼差しが向けられるだろうか。
そう、そこなのだ。
建設業に従事する者に対する卑下、さらに建設業の悪行を煽るようなメディア報道や政治。
確かにね、中にはおりますよ、もう消えて下さいっていう業者も。でも、一部を切り取って、建設業全てが悪とするのは、ちょっと違う。それならどんな業界だって悪になってしまうでしょ。
建設業そのものに誇りと将来性を見いだせなくなった人々は、現場から離れ、そして賃金が高騰している今でさえ、二度と現場に戻ってくることはない。
はっきり言う。
どんな末端の現場作業であっても、長年の熟練なくしてできるものではない。そんな単純なものではないのですよ。高い能力を要する、れっきとした専門職です。
だから、工事費叩いて労務費をカットすること自体、本来おかしな話なわけです。
あまり詳しくはないのですが、海外では、工事費が叩かれたとしても作業員の賃金をカットするなんてことは、まずないと言われます。ドイツでは、マイスター制度といって、建築に限らず全ての技術に対してその職能の高さを表す国家資格制度があって、社旗的地位の高さが認められています。
日本においても、建設関連でいえば、一級建築施工管理技士という国家資格がありますが、もう少し専門的な職能範囲まで広げた制度にして、一定の職能をもった作業員を高く評価できる仕組みを作ってはどうかと思う。
人手不足を解消する目先の対策だけに留まらず、日本の建設業の構造そのものを見直す必要があるのではないかと。
もうね、崩壊寸前ですよ。気づいてないだけで。