なんかもうね、当たり前のようにバタバタ崩れるんで、あーまたか、といった感じで、驚きも衝撃も麻痺してきている自分の感覚が、ちょっと怖いわと思う今日この頃であります。
一棟は工事中、一棟は築50年のビル。ビルと言っても人が住んでいたらしいから、マンションのようなものか?
むしろ、築50年のマンションがあるんだってことに驚いた。
50年前、1964年というと、東京オリンピックが開催された年か。
その頃は、日本でもマンションという居住形態がブームになり始めたころ。
インドは、元イギリス領であったため、マンションという居住形態がもっと早くから根付いていたのかもしれない。
ここ日本では、豆腐が潰れるように、建物がグシャ、っと倒壊する光景は、まず見かけない。
(いや、そんなことが起きたら大問題です。建築業界中がひっくり返ります。マジで。)
何故か。
そりゃ、日本の建築基準が厳しいからでしょ、と言ってしまえばそれまでなんですけど、では、厳しいというのは、果たして何と比べて厳しいのか、というと比較のしようもないので、それを語るのもナンセンス。
建築というものは、その土地ごとの風土や気候、地盤条件等の自然条件から、生活習慣などの文化的要素、ありとあらゆることが地域ごとに違うわけだから、日本とインドの基準がどうのこうの、比べても仕方がない。
仕方がないけれども、考え方として、共通して取り入れてもよいのではないか、と思うものがある。
それは、「壊れてもいい、けど人命は守る」という考え方である。
現在の日本の構造設計は、これが基本です。
昔から地震による被害を多分に受けてきた我が国では、耐震という考え方が根付き、関東大震災後、世界に先駆けて耐震基準を導入したとも言われている。
よって、地震などの外力に対して、建物が耐えうるよう、許容応力度が計算される。
昔はここまでだった。
1978年の宮城県沖地震発生後、構造設計の考え方が変わった。
それが、許容応力度の次に想定される変形にまで及んだことだ。
建物を頑丈に作ろうとすれば、それなりに、構造体もごっつくなるし、何よりもコストが跳ね上がる。
ただ、いつ来るか分からない大地震に備えて、ガチガチ堅牢につくることは、経済的に非効率。
故に、中程度の揺れについては許容応力で耐え(一次設計)、それ以上の大地震については、変形(粘り強さ)で耐える(二次設計)という考え方が導入された。
建物が少々壊れて変形しようとも、粘り強さで、揺れのエネルギーを吸収するというものである。
国交省が、分かりやすいイラストを公表しているので、ご参照下され。
そういうわけで、我が国において、グシャっと潰れるような光景は、まず見かけない。
ただ、構造計算上の地震力は、あくまで水平力作用として計算される。
なわけで、直下型の地震がきたら、どうなの?という疑問に対する明確な回答は、残念ながら、ない。
今回の事故について、工事中のビルは不明だが、築50年のビルについては近隣の工事(多分掘削ではないかと思う)が原因で崩れたらしいが、要するに、地盤に対して何らかしらの振動が加わったということは、地震と同じ外力と考えられる。
ほとんど地震なんて起きないようなヨーロッパ大陸などでも、時々地震による被害というのを聞く。
「壊れてもいいから、人命は守る」という建築構造の考え方は、世界共通のスタンダードになればと、思うのだが。
マダマダ、先の話でしょうか。