昨年、ひょんなきっかけでモンゴルを訪れる機会があった。
もちろん初めてだったし、ソ連崩壊までソ連の支配下にある共産国家だったということぐらいしか知らず、ゲルを住居とする遊牧民族であるという、極々一般的なことしか知らなかった。
ソ連崩壊後、他の共産国家と同じく、モンゴルも困窮混迷を極める。
「マンホールチルドレン」という言葉を知ったのも、実はモンゴルの訪問がきっかけだった。
「マンホールチルドレン」 とは、ストリートチルドレンとも言われるが、特に冬には-30℃ともなる極寒のモンゴルにおいては、寒さを凌ぐために、マンホールに捥ぐって生活する子どもたちのこと。
ソ連崩壊で資本主義社会へと転換したモンゴルでは、国中に失業者が溢れ、配給も途絶え、子どもを養うことができなくなった親に捨てられた子どもたちが、彷徨い、身を寄せ合って生きる術を求め、生を繋いでいるのだ。
地下には、各家庭の暖房や給湯用の温水を通す配管が整備されており、その配管のおかげてマンホールの中は真冬でも15℃くらいの暖かさがある。
ただ、当然ながら、下水などの排水管などもあるので悪臭が充満し、ネズミやゴキブリなどの害虫が這いずり回り、とても人が棲家とできるようなところではない。
それでも、地上で凍え死ぬよりはマシ、と彼らは悪臭と湿気が充満する暗闇で、顔をネズミに蝕まれながら寝る。
今では、日本を含め諸外国からの支援団体により孤児院の設立などが進み、また国の体制も整い始めたこともあって、ほとんど彼らの姿は見かけなくなった。(反対に、孤児院に捨て子が溢れるという別も問題も発生しているのだが)
この「マンホールチルドレン」、モンゴルだけではなかった。
偶然出会った一冊の本。
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録 (中公文庫)/中央公論新社
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これは、ルーマニアでのルポルタージである。
筆者が、2001年から2002年に渡って実際に現地に住み、彼らと接した記録である。
ソ連の衛星国家であったルーマニアも、ソ連崩壊後、生活困窮と政府の弾圧に国民が怒りの旗を挙げ、悪名高き独裁者チャウシェスクを倒した。共産体制が一瞬にして崩壊した後の混迷は、他国とおなじく国を一層窮地に追い込む。
失業と貧困、飢え。ここでも、やはり子どもたちが犠牲になって捨てられる。
チャウシェスクの強国政策として行われた、多産政策(女性は4人子どもを生むまで中絶をしてはいけないとされた)も一因だったのかもしれないが、子どもを養えない家庭が、路上に捨てたり、孤児院に預けたりした。
当時の、孤児院は今では想像もできないような酷い待遇だったようで、食べ物も着るものもろくに与えられず、いじめや暴力が横行する場所だったらしい。また、家庭でも同じく、失業した親が酒に溺れ、子どもを働かせて暴力を振ることが日常茶飯事となっていた。
そうした環境から逃れるために、自ら家を出、施設を脱走してきた子どもたちも、「マンホールチルドレン」として生きるようになる。
マンホールの生活は、ドラッグ(シンナー)、窃盗などの犯罪、また地上生活者からの暴力、人生において希望の光など差し込む余地のないような暗闇の生活。
ただ、この本の中で描かれている彼らの姿は、単に社会から弾き出された悲惨さだけが映し出されているのではない。
薄暗く、不衛生な地下の生活であっても、今までの息苦しい生活よりも今の「自由」を望む子さえいる。
身を寄せ合って生きる中に、「家族」や「仲間」としての温もりを求めて、生活を続ける子もいる。
中には本当に家族になる子(既に親になっているので「子ども」ではないが)もいる。
読み終えたときは、少々複雑な気持ちになったのだが、日本で生まれ日本で育った私には、共産主義独裁国家の実体は知る術もない。レストランやホテルの客室、全ての施設だけでなく、一般家庭にも「普通に」盗聴器が張り巡らされ、生活の全てが監視されている国家での生活がどんなものか、想像もできない。
行き場を失った子どもたちが、マンホールの中を唯一「自由」を感じる気持ちは、私には分からない。
たぶん、本当の自由を知らない子どもたちが、束縛や暴力、孤独から逃れて辿りついた唯一「生き延びる可能性を見い出した場所」だったのかも知れない、と思う。
ルーマニアは、2007年EUに加盟した。
チャウシェスク政権崩壊後の混沌とした危うい国家体制も、このEU加盟を目標に掲げ、全力で政権の建て直しが行われ、街の治安維持から、マンホールチルドレンも一掃された。
しかし、完全に回復しているわけではない。
たぶん、彼らは、今日もどこかでマンホールの梯子を昇っているのかもしれない。