銃弾に倒れてもなお・・・パキスタンの少女に思う

 

各メディアで取り上げられているが、この演説を聞いたとき、私は正直少したじろいだ。

 http://p.tl/Z9bJ

女性が教育を受ける権利を主張し、タリバンに頭を撃たれたパキスタンの少女。

女性というには、まだあどけなさも残る16歳。

ここまで彼女を強くしたものは何だろう。

 

彼女が銃弾に倒れたのが15歳。

私は自分の過去を振り返る。

 

自ら勉強したいと思ったことなどなかった。

学校に行くふりをしてサボってたことすらある。

高校に進学しても、それは単に大学に進学するための過程にすぎなかったし、

ただ目の前にそういうルートがあったから、何の疑問も抱かず、勉強したいという意欲もなく、ただ当たり前のこととして進んだ。

未だかつて、心から勉強したいと思ったことはない。

I want でなく、I need

いつも、必要に迫られてこなしていたに過ぎないのだ。

 

確かに、いろんなメディアを通して、学校に行けない子供達が世界中にたくさんいることは知っていたし、彼らが学校で学ぶことを切望していることも知っている。

 

願いはここまで人を強くするのだろうか。

 

私は、こうした弾圧を受ける地域や、貧困によって人権が奪われる地域がどのくらい存在するのか、正確にはわからない。

ただ、これらの地域の人々も、声を上げられないけれど、マララさんと同じように強い信念と意思を持っていることは疑いない。

 

将来、これらの国々に平和が訪れたとき(それを切に願うが)、それは今の日本や他の先進国よりももっと強い国家が、本当の意味で平和な国家が生まれるのではないかと思う。

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国を作るのは、お金や産業ではない。

それはまぎれもなく「人」だから。

 

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