数日前のことになるが、ホテルオークラ建て替えを受けて、海外から異論の声が上がった。
実に、妙な心境というか、さもありなん、というか・・・。
ホテルオークラは、故谷口吉郎氏の設計。
日本のモダニズム建築を代表すると言っても過言ではない。
実に美しい。
過去に一度だけ宿泊したことがあるが、確かに客室の天井高さは低く(おそらく当時の住宅建築の一般的な室内高さだったのでしょう)、現代建築に慣れていると圧迫感を感じる人もいるかもしれないが、むしろそれを懐古的と感じるか、息苦しさを感じるかは個人の感覚の違いがあるかもしれない。
しかし、谷口氏が主に担当したロビーの造りは、日本の伝統美が集結しているとの絶賛の声がある。
ファッションブランドデザイナーのマーガレット・ハウエルは言う。
「私は長く使えるような服をデザインしてきましたが、建築は服よりももっと長く使い込んでいくべきもの。使い込むことによって醸し出されていく雰囲気は、一朝一夕にはうまれません(中略)新しくてピカピカのホテルは他にもいくらでもあります。でも、この古色を帯びた宝石のようなホテルは、一度壊してしまったら、もう二度と同じものはできません。次世代に残すべき秀作です」
「ボッデガ・ヴェネタ」のクリエイティブッディレクター トーマス・マイヤーも語る。
日本人は建築文化に対する愛着が欠けてるのか、というふうにも、聞く人が聞けば、そう捉えられなくもない。
平均的に見れば、確かにそうかもしれん。平均的に見ればですよ。
もちろん、(ワタクシが建築畑の人間だからというわけではないけれど)建築に愛着を持っている人はたくさんいるし、古い家屋を手入れをしながら大事に使い続けている人もたくさんいます。
ただ、やはり欧米と比べると、日本人は新しいものを好む傾向があるというのは事実。
こと住宅建築に関しては。
これは、不動産流通市場の新築着工数と中古の取引件数の割合を比較してみれば、一目瞭然です。
少し古いデータですけど、日本が住宅足らなくて、せっせと作ってた時代では、もはやない。にも関わらず、圧倒的に新築が多い。
ヨーロッパの方では、中古住宅が手に入ったと言ったら、ラッキーだったね!と喜ばれるそうな。過去何年もの間、倒壊もせずしゃんと建ってるってことは、立派な家だってな感覚らしいですわ。
価値観の違いでしょうかね。
私は、ここで「新し物好き」を批判しているわけではない。
愛着というのは、長い年月とともに、そこに親しみがあって初めて生まれるものであるし、古来から自然災害と共に生きてきた日本の風土や、一度戦争で破壊され尽くした過去を考えると、造り替える行為は自然と身に付いたものと言えるかもしれない。
ここに来て、日本人の「新し物好き」に、もう一つ、別のルーツがあるかもしれない、という説があって、非常に興味深く感じております。
「神宮式年遷宮」。
遷宮とは、神殿を別のところに移し替えたり、新築したりすることを言い、それを式年=定期的に行うので式年遷宮というわけですが、今では伊勢神宮の式年遷宮に代表されます。
伊勢神宮は、20年たったら、今ある神殿のすぐ隣に、新しいものを造り直し、また20年たったら、前あった場所に・・・というふうに、20年ごとに右、左と位置を替え、新しく造り直されています。
驚くべきことに、1300年も前から行われていたらしい。
なんで、わざわざ、しかも20年で造り直すのか。
もっと長持ちできる建築技術は、今でなくとも昔の時代にもあったし、現に法隆寺だって同じくらいの年代だ。明確な理由はよく分かってないらしいが、いくつかの推測がある。
一つに、藁葺き屋根の堀立柱という弥生時代の建築様式を保存するためとも言われていて、この堀立柱の耐久年数がおおよそ20年。柱が老朽化してしまうから、建て直すということ。うん、そりゃ、しゃーないわな。
と、もう一つ、神道の精神として、常に新たに清浄であることを求められるためと言われている。
神道では「常若(とこわか)」と言うらしい。
つまり、古くなり老朽化することは、神道において「けがれ」であって、神の生命力を衰えさせるとして忌み嫌われる。で、神殿を新しくすることで、神の生命力を蘇らせる目的があるということ。
これは、実に興味深い。
確かに、新しい建物に足を踏みいれると、何だか気持ちがすっと一新するような感覚がある。
新築に限らず、引っ越しをして新しい場所に居を構えたとき、きっと同じ感覚を味わったことがある人も多いのではないでしょうか。
あくまで推測の域ですが、日本人の「新し物好き」が、この神道の「常若」の精神に根付いているとすれば、これもまた、日本の伝統精神なのかもしれませんな。