それにしても、何で中東カタールの主要メディア「アルジャジーラ」が、日本の、しかもあまり表沙汰にされていないような問題に、スポットを当てたのか、とんと謎ではありますけれども、たぶん、我々日本人も、気づいてはいるものの、腫れ物に触るべからず、なのか、厄介なことには目をつぶる、なのか、敢えて声高に騒ぎ立ててこなかったように思う。
「日本の見捨てられた子どもたち」
外から見る日本のイメージとあまりにかけ離れていたことに、彼らが衝撃を受けたからなのか、そこらへんは定かではないですが、少なくとも今の日本において、国民の大半が貧困に苦しみ、日々の食べ物にも困っているというイメージはないでしょう。
確かに世界の水準でみれば、物質的には豊かになっているのかもしれない。
もし、日本という国が貧しく、子どもを育てることができないくらい、生活に困窮する人で溢れかえっていたとしたら、このような状況もなんら驚くべきことではないのかもしれない。
世界中には、親と一緒に暮らせない子どもたちは、数え切れないほどいるわけだから。
豊かになっていく一方で、社会的格差が広がっていったのもまた事実。
けど、善し悪しは別として、これは国が成長する過程では、どこでも一般的に見られる現象である。
しかしながら、近年の日本において、成熟した域に達しながら、時代を逆行するかのように、またその格差が広がりつつあるという。
ドンドン私腹を増やし、裕福になる人がいる一方で、生活に余裕のない、いわゆる貧困層と呼ばれる人の割合が増えている。
こうした施設に預けられる背景には、もちろん、経済的な理由だけでなく、親の虐待や、親自身が病気で育てられないなどの事情もあるだろうけど、でもそれらの理由も、元を辿れば貧困が原因であることが多い。生活の余裕は、すなわち心の余裕であって、精神的な余裕があるからこそ安泰した生活が築けるってわけで。
番組の中では、こうした施設の存在自体に異論を唱える人もいることを指摘している。
確かにそうかもしれない。
預ける場所がなければ、否が応でも親元から離すことはできないからね。
でも、もっと悲しい事件が起こりうる危険も孕んでいることも否めない。
もう一つ指摘しているのは、日本人の特性として血縁を重要視するということ。これが他の先進諸国に比べて里親が少ない障壁になっているというものだ。
まあ、そう言われれば、今ある親権というのも、こうした考えから生まれているのかもしれないなあ。
どんなに虐待しようとも、親権を持ち続けることができるわけだし。ヘンな話だよね。
実のところ、子ども虐待のニュースが流れるたびに、なんというか、阿倍さんの憲法改正がどうのこうのという、妙な思いとはまた別の、世の中恐ろしい方向に傾いているような感覚を、常日頃感じておりました。
もしかすると、憲法改正なんかよりも、もっと危険な方向に向かっているんじゃないか、と。
どんな国でも、大なり小なり、負の側面は必ず存在するのであって、目を向けたくない事実ではあるかもしれないけれど、真正面から向き合っていかなならんね、と思い知らされた次第です。真の美しい豊かな国になるためにね。