ここ数日、落ち着かない。
どうしても気持ちがそっちに向かって、最新情報が何か出ていないかと、
ニュースサイトをウロウロしている。
今まで無縁の世界だと思っていた。
当地の紛争も、世界がテロ活動と非難する彼らの暴力的破壊も、
どこか遠い、そう、彼らが言うように、8500キロも離れた遠い地のことだと。
これは、今まで他人事だと真剣に耳を傾けてこなかったことへの報復か。
あまりにいろいろな情報が錯綜しており、また、自分自身、イスラムの世界については全く詳しくないので、あれこれ言うことは控えますが、思ったことをつらつらと綴ってみます。
いつの世も、いかなる地においても、歴史は続いているのであって、突如こうした問題が降ってわき起こることはない。
今回のイスラム国の出現にしても、元を辿れば、遠い昔、西欧諸国が自らの植民地支配の領土を守るため、現地住民の意思を無視して勝手に国境を決めたことに起因する。
もちろん、これだけではない。
よそからの侵攻によって虐げられた苦い歴史が背景にあることは、忘れてはならないことだと思う。
だからといって、彼らの行動を全て正当化できるわけでは決してないのだが、物事には必ず因果があって、自らを顧みることなく一方的に非難することほど、愚かな行為はないと思うわけであります。
これは実に危険なことだ。
ふと、冷戦時代の様相が脳裏に浮かぶ。
敵か見方か。
世界の大国がにらみ合いを続ける時代、自国に賛同できない国を全て敵国と見なす、思えば実に恐ろしい時代だった。
話し合いの前に、ハナから奴らは悪い連中だと決めてかかっては、フェアな話し合いなどできるはずもなかろう。
直接交渉できる仲介役を起用しないのも、敵国と関係する人物だからという理由で拒否しているのであれば、実に愚かなことだ。(事実関係は定かではないが)
偏見とは恐ろしい。
誤解ないよう繰り返すが、彼らの行為を決して正当化しているわけではない。
しかし、彼らの行為が残虐であればあるほど、彼らの受けた苦しみの大きさを思わずにはいられない。
人間が抱く感情ってのは、人種によってそんなに変わるものではなかろう。
喜怒哀楽の表現の差こそあれ、悲しければ涙を流すし、嬉しければ笑顔になる。酷い仕打ちを受ければ怒りが募る。
敵か見方か。
この思想がある限り、この世界から一生戦争はなくならない。
危険を承知で現地に飛び、彼が何を伝えたかったのか、どんな未来を描いていたのか、世界のお偉い方々に届いて欲しいと思うばかり。
湯川さんのご冥福をお祈りするとともに、後藤さんが一日も早く解放されることを願います。