日本全体がのんびりした空気に包まれるお正月は、心の静養には実にヨロシイもので。
しかし、元のペースになかなか戻らず、気ばかり焦るワタクシ。
やっぱり、根っからの貧乏性なのでありましょうか。ア-ヤダヤダ。
年明け早々に、とあるマンションへ仕事に向かったわけですがね、
いや、行ってビックリ。
故黒川紀章さんがかつてお住まいになられていた部屋だったんだわ。
お亡くなりになられてからは、彼の設計事務所が仕事場として活用していたらしいですが、以前のエントリー「建築家という職業」にも書きましたけど、残念ながら昨年暮れに破産ということで、結局処分ということになったんですかねー。(詳しいことは分かりませんが)
いや、ホント、新年早々、こんな機会に恵まれるとは、関係者の皆様には申し訳ないのですが、ラッキーと言いますか、あ、でも別に建築家黒川紀章氏が特別に好きだったとか、そういうんじゃないですけど、まあ一応世界に名だたる著名建築家の自邸を見ることなんぞ、まずないですから。ハイ。(半ばミーハー的心境かも)
もちろん、既に空室になっておりましたから、生活感も何もなくなっておりましたが、ここで若尾文子さんとお過ごしになっていたのかと、ちょっぴり感慨深いものがございましたよ。
で、目を見張ったのが、茶室。
そう、マンションの一室に、おそらく自らお造りになったのでしょう。
正真正銘の茶室が、すっぽり納まっておりました。
ルーフバルコニーも、日本庭園に。
よくぞ、ここまでやりました。
不動産屋さん、「こんなもの作ってるから、破産すんだよ」とポツリ。
や、それを言っちゃー・・・(汗)。
ワタクシ、茶室はそれほど、というか全く詳しくはないのですが、でもね、ここが日本建築の原点ではないかと感ずるものがあるんですわ。
その名の通り「茶事」を目的とした施設ゆえ、建築というよりは芸術としての空間。
しかし、元は民家の質素さから「侘び」という美を見出し、それが茶室という芸術建築に高まっていった。
基本は四畳半。さらに三畳、二畳など小間(こま)と呼ばれる、実に狭小な空間。
外の光はほとんど入らず、「にじり口」と呼ばれる60㎝四方ぐらいの四角い開口部から、客人は出入りする。
コレ↓
無論、腰を屈めないと入れない。まるで洞窟にでも入るようだ。
聞いたところによると、腰を屈めて入る際に腰に付けた刀が引っかかるので、ここから入るには刀を携えては入れない。よって、茶室に入る客人は、皆、刀を置いて無武装で入るようにするためだとか。
本当かどうかは分かりませんが。
しかし、千利休も目指したという「直心の交(じきしんのまじわり)」のように、小さな部屋で亭主と客人が直に心を通わせる空間というのは、こうした身を素にすることからも読み取れる。
最低限の光のみを取り入れ、薄暗く狭い空間で、静かに淡々と茶事を執り行う。
茶道など高尚な趣味のないワタクシに、その侘びの心境は理解できるものではありませぬが、古人たちは、そうやって、人と人との心を通わせる術を得ていたのかもしれませぬなあ。
いにしえより学ぶことは、誠に多ございます、利休殿。
故黒川氏が、「直心の交」を求めていたかどうかは、皆目分かりませんけれども、日本建築の原点を茶室に見いだしていたのではないかと、何となくそう思った新年でございました。
結局、不動産屋さん曰く、リフォームされるそうです。
まあ、現代人の生活に茶室はいらんわな。
もう、見ることもない、紀章氏の茶室と庭園。
最後に拝見できて、光栄でございました。オシマイ。