古来、日本人は自然と共存して生きる民族だった。
自然は人類に敵対するもの、という欧米人の考えに対し、日本人は、共に生きるもの、まさに共存という考えが根付いていた。これは、日本にはっきりとした四季があり、四季折々の美しさを愛でる習性があったからかもしれない。
家の造りを見ても、欧米は、石やレンガなどで分厚い壁を張り巡らし、外部と内部を分け隔てていたのに対し、日本のそれは薄っぺらい板で、中からも常に外の気配が分かる、悪く言うと、チャッチイ代物だった。
火事が起これば、即燃える。台風がくれば、吹き飛ばされる。
しかし、日本人は古来から、このチャッチイ家屋を愛し、住み続けた。
「縁側」などは、その特徴をもっともよく表しているものかもしれない。
外でもない、内でもない、外と内の緩衝区域。日がな、ひなたぼっこをし、客がくれば、そこで延々と世間話に花を咲かせる。
また、日本人が自然を愛でる習性が形になったものが「雪見障子」と言えよう。
障子にガラスがはめ込まれ、外の景色を見ることができるようになったもの。
コレ↓
こう見てみると、日本人は本当に、自然と向き合って生きてきた民族なのだと実感する。
しかし、こうした自然と対話する古来からの習性が、人間の感覚を研ぎ澄ましてくれているとも言えるだろう。
地震、台風、火山噴火、etc・・、日本は世界的にも、実に自然災害の多い国の一つ。
しかし、(残念ながら多くの犠牲者を出してしまうものの)いにしえから人々が身につけた知恵、直感、災害に対する備え、そうした半ば動物の本能的な感覚により、被害を免れたという例も耳にする。
さて、こうした前置きを長々と述べたのは、先の東日本大震災にて、津波の大被害を被った沿岸地域に、防潮堤を巡らす計画について危惧する、とあるスピーチをご紹介したいからであります。
スピーカーは、誰しもご存知、阿倍昭恵総理夫人。
いろいろメディアで取り上げられていますので、ご存知の方も多いと思いますが、先月、NYのフォード財団にて、演説をなさいました。
https://www.youtube.com/watch?v=Uhn4EFGiZhA&app=desktop
確かに、この計画が持ち上がった時には、ワタクシ正直、全くイメージができなかったのですけど、文字通り15m弱のコンクリート壁ですから、・・・壁なんですよね、当たり前だけど海は見えない。
海岸沿いに、15m弱の壁が延々と続く、そんな光景。
イメージができなかったというのもありますが、ワタクシ、単純にこの計画、(安全ではあるかもしれないけれど)実際問題として、あまり現実的じゃないよな、ぐらいにしか考えていなかったのです。
ただただ、漠然とホンマに作るんかいな?程度にしか。
しかし、このスピーチは衝撃的でした。
この防潮堤建設に限らず、モノを作る立場の人間が、常に忘れてはならないものを呼び起こしてくれた、そんな心境でアリマス。
新しいものを生み出すということは、何かを失う可能性がある。
それは、本当に失ってもよいものなのか。
残さねばならないものとしたら、どうやって。
新しいものは、それにとって変わるほど有益なものなのか。
大事なものは、いつも目に見えないところにある。