知らぬが仏か、封印され続けた欠陥

 

えっと、私事ではございますが、先週末、お盆も最終日、いわきへ行ってまいりました。

仕事ですがねww

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急な依頼だったので、近辺の散策もままならず、トンボ帰りでございまして、はるばる遠方まで来たのに、そのまま帰るのは惜しいなあと、後ろ髪を引かれつつ、帰省客に混ざって帰京したのでございました。

 

目的地は、事前にGoogle Mapで調べて、駅から極近い場所だとわかっていたのですが、地方の街だと、目印となるものがないでしょ、ここを曲がればいいのか、も一つ先か?と立ち止まっていたら、ふと手前で車が止まる。

??なんだ??

と思って運転席に目をやると、彼は私が道を横断するのではないかと思って止まってくれたようだ。

マジか?!

東京ではありえんことだ。

 

結局遠回りをして目的地に到着。

調査物件の外観写真とろうと、少し離れてカメラを構える。

すると、また手前で車が止まる。

今度は何だ??

不信に思って運転席に目をやる。お互い暫く見つめあう。

すると、運転手はためらいがちに車を発進させた。

え!マジか?!

私が写真を撮ろうとしていたので、止まったというのか?

ありえん!東京では絶対ありえん。

福島県人の柔和な性格というのでしょうか、ダブルパンチで衝撃的でございました。

 

さて、前置きが長くなりましたが、建物に限らず「調査」とか「診断」というものは、客観的事実にのみ基づいて判断がなされなければならない。そこに、感情や利害などの雑念を入り込ませてはならず、だからこそ、「客観性」が保たれる。

 

しかし、時として、心が痛む時もあるのですよ。人間だもの・・・(byみつを)

調査を開始してほどなく、構造的欠陥が発見される。

欠陥という言葉は、巷では何気に使われていますが、業界ではかなりヘビー級でして、ほとんど使いません。よっぽどのことでもない限り。

が、今回のように、構造体しかも主要な構造部である梁に、意図的に削り取った跡が見られる場合は、瑕疵としか言いようがないでしょうなあ。

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形跡は、ユニットバスの天井がつっかえてしまったので、現場で削り取ったのだと思われる。

建物を構成する柱や梁のサイズは、構造設計に基づいて決められる。決してテキトウにこのぐらいでいいでしょ、ってなものではないのです。

しかも、柱や梁というのは、建物に働く応力を伝える、構造体の要なのであります。

当然、削り取った分の梁成(梁の高さ)は低くなるので、設計通りの強度が確保されていない可能性が懸念されるわけです。

もちろん、後から構造計算をやり直して、安全性が検証されていれば問題ありませんがね。

 

ただ、建築というのは、それほどヤワではない。

実際は、安全率を見込んで作られるので、実物は設計強度よりもいくらか強い強度が出るのが常。

この建物も、築10年ということだから、先の大震災に遭遇したにも関わらず、大きな損傷もなく健在している。綿密に調べなければ分からないが、少なくとも外観上見る限りでは、ほとんど損傷はない。

 

ここで、私の心がチクチク痛む。

先に述べたように、欠陥とか瑕疵という言葉、ヘビーと申しましたけど、これは言わば、建築としてダメですよ、と烙印を押すようなものですわ。

理論上はですよ、理論上はNGなんです。そうなんです。

ですが、現実として、それがどれだけの影響を及ぼすのかということは、リアルに遭遇してみないと分からない。もしかすると、何の影響もないかもしれない。

 

まだ、若い(多分20代だろう)ご夫婦、きっとお子様の誕生を機に新居を探していらっしゃったのだと思います。

「ここにベビーベッドを置いて・・」とかお話されているのを耳にすると、淡々と客観的事実をお伝えするのが、躊躇われてしまうわけです。何だか、彼らの夢をぶち壊してしまうようで。

もちろん、調査報告義務として全てお話しますよ。ハイ、心を鬼にして。

 

確かにね、将来の安全を考えて、今回は見送ってまた別の物件を探せばいいじゃないか、と単純にいえばそうですけど、やはり、少なからず、彼らを落胆させてしまうのが、何とも心苦しいのであります。

 

とはいえ、この事実を知らずに彼らが新しい生活をスタートさせるのが、果たして彼らにとって幸せなのか、と思うと、そうとも言い切れない。

 

帰省客に紛れ帰路の電車に揺られながら、悩める一人の♀がおったとさ。

 

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