お盆です。
ご先祖様をお迎えし、また再び送り出す。
古くからの日本の風習。
にもかかわらず、いつもと変わらぬ日常を送っているワタクシ、いつもより静かで、こりゃ仕事はかどるわ、とシコシコ籠ってます。
きっとあの世にいったら、ご先祖様に村八分にされるだろうなあ。。なんて。
さて、世間はお休みということで、ゆる~く行きましょう。
ロンドンの構造技術者協会「The Institution of Structural Engineers」が、Structural Awards 2014 の受賞候補リストを公表した。
受賞は11月に決定する。
んまあ、ワタクシ凡人にはね、優越なんぞ付けられたものじゃありませんが、いやまあ、「革新的」というのか「斬新的」というのか。
世の中には、いろんなものを作り出す人がいるもんだわ、とただただ驚いております。
ワタクシの思いますところは、構造物、特に建築物に至っては、その美しさは「佇まい」であると常日頃感じておる次第でゴザイマス。
建築に欠くことのできない3要素は、「用」「強」「美」と言われますが(←建築を学び始めて一番しょっぱなに教わったぞ)、この3要素が、うまく融合した時に、建築は何とも言葉では言い尽くしがたいオーラが出る。
「用」とは、機能性。
「強」とは、構造耐力。
「美」とは、いわゆる美観。
柱、梁、壁、それぞれの構成材が、それぞれの機能を発揮し、なくてはならない存在として建築物を構成しているが故に、そこに静なる美しさがある。
さらに言うと、モニュメントは3日見れば飽きるけど、日常見かける街の景色をなお、美しいと思えるのは、そこに人の営みがあるからだと思う。
先般、とある評論家(?だったかな)が、日本のマンションは、金太郎飴のように同じ造りの家がだら~と続いていて、美しさのかけらもない、というような主旨の記事を書いていたのを目にした。この由来は江戸時代の長屋の構想そのもので、一番効率よく住まわせることができるからだ、とも書かれていたようだったが、確かに、直方体の豆腐か何かのように、デンと建っている姿は、色気のかけらもないかもしれん。
でも、なんだろうね、今は無くなったが、日本のマンションの元祖とでも言うべき、同潤会アパートに出会った時は、その静かな佇まいに、何ともいえない静なる美しさを感じた。
なんだろうな~、同潤会という潜在意識があったからなのか・・・よくわからん。
技術の進歩によって、今は、ほとんどどんな造形でも可能になった。
けれど、やはり思うのは、構造的美しさとは、構造的要素を満たすための、そしてそれによって、建築の美しい佇まいを作り出す機能を発揮しているからだと思うのであります。
では、皆様、よいバカンスを。