勝どきに出向くときは、なんか知らん、いっつも雨になる。
晴れてても雲行き怪しくなって、雨になる。なんかあんのかな。
ということで、今日も雨に濡れて帰宅、トホホな一日でしたワ。
えと、ワタクシ、仕事の関係で、時々地方に行くんですけどね、まあ地方といってもせいぜい関東圏、東北の手前あたりですから、地方という表現が正しいかどうか、あれですけど、なんといいますか、駅に降り立った瞬間の、あのホワ~んとした空気感。
全身の緊張が解かれるような、妙に安心してしまうものを感じるのであります。
やっぱり、自分は根っからの田舎人なのかなあ、と思ってしまうわけで。
地方にふるさとを持つ人なら、きっとみんな感じるんじゃないかなあ、あのフッと肩の力が抜けるような感じ。
ここ東京に住んで20年以上経ちますが、東京は嫌いじゃないけど、人混みと満員電車がゴキブリの次くらいに大嫌いなワタクシ、未だに人の群れを見るとゾッとします。
生まれは鳥取県の米子市。
そう、つい先日、でっかい地震が来たとこ。
「ゲゲゲの鬼太郎」の著者、水木しげるさんが、お隣の境港市出身で、数年前にちょいと、ここら近辺が有名になりましたのよ。なんだっけ、「ゲゲゲの女房?」がテレビドラマ放映されたとかで。(見てないけど)
まあ、7歳までしかいませんでしたから、行動範囲も狭いし、自分の生まれた町のことなんて、断片的な記憶しかないんだけど、(ていうか、そもそもちっちゃい町だし)その中でも、米子市公会堂は、結構記憶に残ってる。
母と兄と3人で、ここで映画「はだしのゲン」を見てね、ちっちゃい町だから当時、映画館なんてのもなかったのかな。
子供心に、すっごい怖くて怖くて、周りが静かに見ている中で、泣いて「もう帰りたい!」と母を困らせた記憶があります。
でもこれね、かの村野藤吾さんが設計したものなのですぞ。
1958年築、かれこれ、60年近く存在していることになる。
各地で、村野建築が次々に解体へと、その存在を消していく中で、この公会堂、数年前に耐震改修工事を行い、新たな息を吹き、今もなお、米子市民の憩いの場として、町のシンボルとして生き続けています。
しかも、耐震診断を行なった時点で、解体という意見もあった中で、市民の多くが改修して残すことに賛同し、その改修費も市民からの寄付で一部賄われている。
実は、新築時も「一世帯が1円を貯めて公会堂を」という市民の熱い思いと寄付で、完成に至ったと言われている。
すごいじゃないか‼︎米子市民‼︎
がいな市民!(米子弁ですごい市民って意味)
自分の生まれ故郷がこんな町だったって、なんか嬉しい。
先日の地震では、この辺りは震度4だったみたいで、当日コンサート開催中だったようですが、観客も建物も大事に至らなかったようで、よかった。
だらだら、とりとめもなく昔の思い出話語ってきましたけど、地方都市に行くたびに思うのは、日本のよさ、我々日本人が普段気づかないよさが、地方都市にあるよね、ってこと。
フッと肩の力が抜けていくあの空気と、華やかさはないけれど、静なる美というのか、静かな佇まいの美しさ。そして人の心。
なもんで、ワタクシ、五輪の会場の一部を東北の被災地にって案には大賛成で、むしろ東京よりも日本本来の良さ、美しさを世界の人々に知ってもらえるんじゃないかと思っております。
もちろん、震災からこんなに復興を遂げました、というメッセージを伝えることもできるだろうし(あの防潮堤はどうかと思いますけど、、まあ、いいか)、世界で起きている、また、これから起こる得る災害に対して、やればできるんだっていう勇気を与えてくれるんじゃないかと思う。
すんごい施設つくって、どや、日本の技術すごいやろ、って、もうそんなこと言ってる時点で終わってます。
成熟した国が、自らの風土を愛し、自らの町を愛し、そしてそれを引き継いでいく。
その姿こそが、その国、その町の、何よりも増す魅力であることに、疑いの余地はない、と思うのでアリマス。