桜の花を見るたびに、日本人であることを実感する。
ここまで桜の開花を愛でる国民はいないだろうし、お花見と称して(花より団子かもしれませんが)桜の開花を祝う民族も少ないと思う。
満開の桜は、なぜにここまで心を和ませてくれるのだろう。
先週のお花見シーズンに、天皇の傘寿を記念して皇居の「乾通り」が一般公開された。
この「乾通り」は約750mの通りの両端に76本の桜が植えられている桜並木。
残念ながら、ワタクシ拝見できなかったのですが、かなりの人が訪れたようでございます。
一国の王の居住の場が一般公開されることは、実は世界的に見ても多くはない。
他の場所に移って歴史的建造物になったとか、博物館などになって観光名所となったとかなら、たくさんありますが。
もちろん、警備はがっちりされるのでしょうけど、一般公開ですからどんな素性の者でも基本的には入れるわけですよ。
それが普通にできてしまう・・・これよくよく考えるとスゴイことだなって思うわけです。
まさに、日本が世界に誇れる本当の「民主主義」ではないかと。
古代、天皇のお住まいは京都でした。
現在、京都御所と呼ばれる場所がそうなのですが、そこは、だだっ広い長方形の敷地。
高い塀で囲われているわけでもなければ、お堀もないし、戦国時代のお城のような石垣が高く積まれているわけでもない。敵を打つための櫓もなければ、見張り用の天守閣もない。
兵を駐留させておく施設すら存在しないという、全くの無防備な住まい。
へ?これでいいの?と素人目には思ってしまうわけですけれども、それでよかったということなんです。
要するに、敵が攻めてくることなど毛頭考慮する必要がないということだったのです。
民衆を重んじ大事にしてきたからこそ、民衆に襲われる心配など無用、ということの表れなわけですね。
これは京都に遷都される前の、平城京や藤原京も同じ。
(ちなみに今の皇居は、元徳川家の城だからお堀があるノダ)
高松宮宣仁親王殿下が生前に喜久子妃殿下にこう語ったという。
「皇族というのは国民に護ってもらっているんだから、過剰な警備なんかいらない。堀をめぐらして城壁を構えて、大々的に警護しなければならないような皇室なら何百年も前に滅んでいるよ」と。
この言葉が全てを語る。
そう、古代より、天皇と国民は支え合いながら共に歩んできた。
これは、世界史上から見ても、他の国王と一線を画す。
島国であったから他国からの攻勢に警戒する必要性がなかったという理由もあるかもしれないけれど、例えばヨーロッパの王は常に軍隊を配備し、他国からの攻勢だけでなく、民衆の蜂起にも警戒しなければならなかった。
フランス革命がよい例だろう。まさに民衆によって王朝が倒された。
が、日本では、皇室内の即位争いはあったとしても、民が皇室を倒そうと攻撃の的としたことは一度もない。
2000年以上もの歴史において、これは奇跡としか言いようがない。
古代から根付いた民主主義国家。これが世界に誇れる日本と言わずして何と言うや。
普段はあまり気にもしないし、まあ、失礼を承知で言わせて頂くと空気のようになっている皇室の存在ではございますが、改めて思うとですね、皇室があるから日本なんだと、そんなことを思った皇居一般公開のニュースでありました。
今度、秋の紅葉のシーズンにも公開されるようです。
http://www.kunaicho.go.jp/event/sanjyu-kinen.html
今度は行ってみようかな。