学生のころだったか、社会に出たばかりのころだったか、メディアに時々登場していた彼を、当初私は、なんか変わったオッサンやなー、ぐらいにしか見ていなかった。
しかし、無知とはなんと罪深い。
これほどまでにスゴイ人物とは・・。
昨日の号外ニュースに目を奪われてしまったワタクシでありました。
かっこえーじゃないか!
建築の端くれ者にとっても、こんな嬉しいことはない。
プリツカー賞というのは、お聞きになった方もいらっしゃると思いますが、ハイアットホテルを展開する米国の実業家、ジェイ・プリツカー氏によって設けられたもので、建築家の功績を讃え与えられる、言わば建築界のノーベル賞。ま、トップレベルの名誉賞なわけです。
1979年から始まったこの賞は、今まで日本人では、丹下健三氏、槇文彦氏、安藤忠雄氏、妹島和世氏と西沢立衞氏、昨年の伊藤豊雄氏に続き、坂茂氏で7人目となる。
建築界のノーベル賞というと、なんかこう、斬新なデザインの建築を作ったとか(かのザハさんも受賞されております)、華やかなイメージが浮かぶのかも知れないけれど、実際彼の建築が評価されたのは、仮設建築。
要するに、一時的に使用する目的のものだ。
なんでまた、仮設なのか。
当初、私が変なオッサン建築家(失敬!)と思ったのも、彼が紙の建築を提唱していたから。
紙ですよ、紙。
小学生の工作じゃあるまし、このオッサン、ウケ狙いでやってんのか、ぐらいにしか思っていなかった。(ことごとく失礼なワタクシ。。無礼をお許し下され)
んが、さにあらず。
紙といっても紙管(こんなやつ↓)
もちろん、建築基準法で構造材料として認められているものではない。コレを構造材として使用できるようにと、耐久性や防水性、強度など自ら実験を繰り返し、大臣認定を取得。(日本の場合は、法に規定するもの以外の材料や工法で作る場合、大臣認定が必要)
コストは安い、輸送に便利。重機がなくても組み立てられる。そして廃材も少ない。
こうした紙管のメリットを活かし、彼が取り組み続けてきたのが、災害地域における仮設住宅や公共建築。
ボランティアとして今も人道支援活動を続けている。
その活動範囲は国内に留まらず、ルワンダ難民キャンプに始まり、トルコ、インド、スリランカ、中国、ハイチ、世界各地で起きた地震災害地に自ら赴き、紙管で組み立てる。
「今まで建築家という職業が、本当に困っている人の役にたっていないような気がしていた」
自らの職業の意味に疑問を抱き、今も尚、災害地の支援活動に取り組み続けている彼は、そう話す。
その信念が、20年近く続く彼の活動の支えとなり、今回の受賞へと繋がったのだろう。
坂さん、ゴメンナサイ。
貴方のことをすっかり誤解しておりました。
日本の技術は世界一。
そんな言葉は、建築に限らず製造業や科学の世界でも言われてきました。
でもね、なんというか、今回の受賞で感じたことは、技術だけではなく、日本人の技術者としての信念とメセージが世界に伝わったような、そんな気がするんです。
そして、それこそが、我々技術者が目指すものだと。
ワタクシも、一応「リケジョ」ですが。
技術者とは、かくありたい。
そう素直に感じた、あったかいニュースでした。