それでもなお、進もう。熊本地震で倒壊した建物を教訓に。

 

14日夜、いつものようにデスクに座って仕事をしていた。

急に椅子の下からドスンと突き上げる感触があって、咄嗟に来た!と思った。

が、ニュース速報も何も飛んでこない。

しばらくして、やっと関東地方に震度2(だったか)ありましたと。

何だ、大したことなかったんだ。。とイソイソと仕事を始める。

その数時間後だった。熊本で震度7。

 

一応、建築屋の端くれとして、こうした大地震が起きるたび、建物の崩壊は見るのも辛い、それで人命が奪われるなんてのは耐えられない。

自然の力を前にして、人間とは何と無力なものなのだといつもながらに痛感してしまう。

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現在の日本の耐震設計の考え方として、ごく稀に起きる地震(数百年に一度程度の大地震)に対し、(建物の損傷はあっても)倒壊しないこと、とされています。

数百年に一度程度の大地震の想定として、震度6強から7程度。つまり、震度6強から7程度で「倒壊」しないだけの耐力が求められているわけです。

「倒壊しない」という根拠は、たとえ建物が損傷しても人命は守る、つまり建物から逃げ出すことができるということを意味する。

ただし、これは1981年に改正された新耐震設計の考え方であって、それ以前のもの(築35年以上)には適用されていない。(それ以前は、震度5強程度で倒壊しないこととされてました。)

 

今回の被害状況を見ると、多くの家屋が押しつぶされたように倒壊している。旧耐震の古い家屋なのかもしれませんが、決してそればかりではないでしょう。

新耐震設計でもダメなのか。

 

建築界を擁護するつもりではない。けれど、現実の地震の動きは、机上の理論を超える。

この建築界のジレンマが「建築構造問題快答集」に端的に表現されておりまして、

「我々の生活環境には絶対を保証されたものなどは一つもないので、物の品質の程度に関しては結局それを生産する人、使用する人(合わせて社会)の申し合わせによって水準を定めていると言えるでしょう。(中略)それは自然現象を司る神様のところへ持っていっても通用する免罪符とはならないのです。ということは、現行基準法に合わせて設計した耐力Aが、起こりうるかもしれない地震により発生する応力Bを常に上回っているという保証はありません。」

結論として、だから仕方ないよね、ということを言っているのではなく、こうした危険性がどんな場合にどの程度ありうるのか、反対にどの程度安全性にゆとりがあるのか、ということを明らかにし、申し合わせされた水準を見直し改善する必要があると解説で言われています。

 

さて、そうした前提に立つと、今回の地震において、通常と際立って異なっていたのは、余震の多さ。14日の大揺れの後、16日の早朝にも続いた(これが本震とも言われてますが)。

耐震設計における地震荷重は、こうした波状的に連続して襲ってくる地震力は考えられていない。

当然ながら、一度大きな衝撃を受けた建物は、何も力が加わらないものと同じ耐力ではない。

断続的に建物に衝撃が加わった際に、建物がどのような動きをするか、実際には動的解析をしてみないとわからないし、また、揺れ方は建物の固有周期や地盤の種類にも影響する。

そう、単純に地震の大きさを水平荷重で加えれば良いという話ではないのでありまして、耐震設計は容易でないことは想像に難くありません。

ただ、こうした波状的地震力に対して、構造設計上、安全性のゆとりという考え方が重要になってくるでしょう。たぶん、今回を教訓に。

 

さらに、耐震設計の際に使われる地域別地震係数

0.7~1.0の範囲の値を使うのですけど、地震が起きそうなところは大きく、可能性が低いところは小さい値となるわけ。

ちなみに、東京は1.0、熊本は0.9。市庁舎が崩れた宇土市は0.8(相当古かったらしいですが)。

この係数の根拠は、過去のデータに照らして将来起きるであろう地震の規模を予想して定められたもの。

これはもう、早いとこ見直した方がいい。もう、どこにどの位の活断層があるのか、大方のところはわかっているのだから、その科学的根拠に基づいて、もっと細かく決めるべきだと思う。

 

地震大国の日本の建築は最先端だなんて、一部ではそう言われていますけど、所詮こんなもんなんですよ。自然の力の前には無力です。

それでも、進歩していかなくてはなりません。それが私たちの使命だから。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。