生きていた場所

 

もう、5年。

そう思うと、時の経つのは早いと、つくづく思う。

けど、苦しみを背負った人にとっては、決して早い5年ではないのだと、当時からの変遷が語る。

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確かに風景は変わった。

そして、時間が少しづつ記憶を遠ざけていく。

街が生まれ変わるように、心の苦しみも消えてくれれば、どんなに楽なんだろうと思う。

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人の記憶とは、幸か不幸か、目に見えないものは忘れてしまいやすい。

人は忘れる生き物だ、って誰かが言っていた。

確かにそうだ。

忘れることができるから、生きていられる。

でも時々、ふと遠い昔の光景がフラッシュバックしてくる。

と、同時に、辛かった記憶も、切ない思いも蘇る。

でもまたすぐに忘れる。

だから生きていられる。

 

「震災遺構」という言葉がある。

災害を受けた建造物を当時の姿のまま保存し、震災の事実を人びとの心に留め、教訓としていくもの。

東日本大震災でも幾つかの建造物が検討の対象とされ、保存されるものもあれば、解体されるものもある。

石巻市大川小学校もその一つ。

保存か解体か、二者択一を迫られているが、住民の意見は分かれ、未だ結論は出ていない。

 

立場が違えば、当然、想いも違う。

大川地区に限れば、解体を望む声が多いが、石巻全体で見ると保存の声が多い。

「校舎を見るのが辛い」

遺族にしてみれば当然だろう。

しかし、同じ遺族でも、大川小学校の卒業生たちは違った。

大事な兄弟姉妹を亡くしてはいるものの、悲しみと同時に、その小学校で過ごした楽しい思い出も、この場所を訪れると蘇る、だから残して欲しいと。

 

場所の記憶というのだろうか。

姿かたちは変わり果てても、校舎、校庭、そこで過ごした時間。

自分たちは確かにここにいた、そして、今はいない兄弟姉妹も、同じくここで生きていた。

彼ら彼女らの心の中には、生き生きとした兄弟姉妹の元気な姿が映っているのだ。

 

現地の人でなければ、到底分かり得ない想いがある。

それぞれの想いは、そんなに容易く変わるものではないと思うし、どちらが正しいとも言えない。

が、もう少し時間に身を委ねてもいいんじゃないかと思う。

もう5年、まだ5年。