偽善者なる心

 

例年のごとく、曜日感覚がなくなってまいりましたぞ。

ぶっとおしの業務で、一体、今日は何曜日?みたいな。フー。

んで、そんなこんなで、ヘロヘロ状態ではありますが、このところ感じていることをボソっと呟いてみようかと思います。

 

「今日はどうもありがとうございました。また、何かご不明なことがありましたら、いつでもご連絡くださいね」

当たり障りのない、仕事を終えて別れ際のご挨拶なんですけど、「いつでもご連絡くださいね」って、オマエ本当にそんなこと思ってないだろって自分で自分の心に問い詰める。

表向き、「いつでもあなたの力になりますよ」みたいなこと言っておきながら、実際のところ、忙しい時に問い合わせがくると、イラっとしてしまう自分がいる。

 

偽善者。

この言葉が、時々脳をよぎる。

オマエは偽善者だ。

なんだかんだ綺麗事言っても、所詮、自分が一番大事。

自分を犠牲にしてまで、他人に手を貸すのか。

そうしたとしても、心からその人のことを思ってやってるのか。違うだろ。

何で自分がこんなことしなきゃならんのだ、ぐらいにしか考えていない。

何だ、オマエは。

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「あなたのために、○○します」とか「あなたのお力になります」とか、企業のキャッチフレーズでもよく見かけるけど、結局は利益を追求する民間企業である限り、不利益を被ってまで、「あなたのために」「あなたのお力に」なることはしない。

そんなことしてたら、企業が存続できなくなるという最もな理屈はあるにせよ、究極のところでは利益の追求が企業にとって一番大事となるわけで。

 

これが如実に示された例を、昨年話題となった傾斜マンションで見た。

先日、ついに全棟建て替えが決まった。

当初、問題が発覚された瞬間に、デベロッパー側が全棟建て替え案を提示したのには、正直驚いた。

大手だからここまでできるのか、それにしても太っ腹だな、と。

 

当マンションの理事が問題の箇所を見つけたのは1年以上前。

そこから、管理組合と売主・施工会社側との長い戦いが始まる。

当初は、「震災の影響です」と素っ気なく回答され、まともに対応してもらえなかった。

それでも組合側は食い下がり、施工記録の提示を求めたり、市に相談したりを繰り返したという。

杭の施工不良を認めたのは、一般報道される5日前。

施工不良を認めながらも、組合側へは不具合のある箇所を補修するにとどめるという内容の説明だけだった。

が、5日後、朝刊でこの事件が報道されるやいなや、売主側の態度が急転。すぐさま「全棟建て替えます」声明が発せられたのだ。

 

超大手デベロッパーにとって、世間の目とブランド力の低下ほど、イタイものはない。

年間利益のかなりの割合が吹っ飛ぶとしても、これを契機に、大手の懐の深さと絶対的な安心感を世間に植え付け、さすがM社と言わせよう、という心理が垣間見えた。

 

そこに、本当に「居住者のため」を思った気持ちがあったのだろうか。

本当にあったのなら、不具合が発覚した時点からの対応も違っただろうし、偽装が発覚した時点で、すぐさま「全棟建て替えます」声明が出ていたはずだ。

 

所詮、自分が一番可愛いのだ。

そう、正直に自身の本心を覗いてみれば、その気持ちがどこかに潜んでいる。

 

ならば、世の美しい言葉は、すべてうわべだけの嘘っぱちか。

差し伸べられたその手は、偽善なる手か。

 

人間だもの。(みつを)

誰だって、自分が一番可愛いさ。

その心に嘘はない。

 

生物学的にも利他主義なるものは存在しないらしい。

どんな生物も、餌を分け与えたりして他者を助けるのは、その見返りを求めて行う行動だと学術的に示されてる。

しかし、人間は見返りを求めず、他者を助けることがある。

なぜか。

学術的に言うと、他人を助けることで気持ち良くなるからだそうだ。

 

確かにそうかもしれない。

ありがとうと言われると素直に嬉しいし、相手の笑顔を見ると、心が満たされる。

 

自分本位なのは人間の本質。

しかし、共に助け合って生きるのも人間の本質。

そう考えると、ちょっと楽になった。