「世界◯◯遺産」もうええかな…的な

 

秋です。

◯◯の秋なんて言われるように、この時期は何をするにもほどよい気候ですナ。

んでもって、なぜか祝日が多くて(体育の日なんて、言われるまで気づかなかったwww)、世間は行楽真っ盛りでしょうか。

フリーの身には、休日も平日も境がなく、いやに外が静かだな、と思っていたら今日は休日だった、なんてことは珍しくない。(誰か教えてチョ)

 

さて、芸術の秋ってことでもないんですけど、ついこの前、世界記憶遺産に、「東寺百合文書」と、「舞鶴への生還ー1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」が日本からの申請で登録されることが決まったそうな。

 

記憶?

いや、実はワタクシ、記憶遺産てのは初めて聞きまして。

世界◯◯遺産ってのは、富士山だとか富岡製糸場だとか、和食も無形文化遺産に登録されたってのは知っていましたけど・・・「記憶」の遺産ってなんだよそれ、みたいなツッコミを入れてしまいましたよ、思わず。

 

事業本体は文化遺産と同じく、ユネスコ。

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後世に伝える価値があるとされる文書や記録物を、世界記憶遺産(Memory of the Word)として登録する。

文化遺産と異なるのは、それが古文書など記録物であること。これらのものは、基本紙ベースのものゆえ、往々にして破損していたり、消滅しやすいものであるということで、これらを保存し、記録された歴史を世界に広め、後世に伝えることを目的とする。

ナルホド。。んでも、それ、言うなら「記憶(Memory)」じゃなくて、「記録(Record)」ちゃうん?

まあ、えっか。

 

今回登録された「東寺百合文書」は、東寺が創られた平安京から伝わってきた古文書とのことですが、もちろん、古来からの保管が良かったとはいえ、1000年以上も残ってきたものとは、驚いた。

もともと、和紙と墨という記録媒体そのものが、長期保存に耐えるものらしい。

和紙、すごいやん、見直したわ。

「舞鶴への生還」はずっと近代のことなので、まあ残ってても不思議ではない。

ただ、こうした記録物というのは、先にも述べたように、破損しやすいものであるし、まあ、破ってポイッてことも簡単にできてしまう。燃やしてしまえば、それこそ跡形もなく消える。不都合な事実を記すものは、ことごとく抹消されるのが世の常である。

 

ちなみに、この記憶遺産申請は、特に年代の制限はないらしく、1990年代の比較的新しいものもあるらしい。

となるとだね、今後この記録物として、書物だけじゃなく電子媒体が登場するよね、たぶん。

んで気になるところが、(紙ベースでも同じだけど)データの改ざんとか簡単にできてしまうんじゃないかって思うわけです。

もちろん、選考の諮問委員会は、記録としての信憑性を最も重要視しているわけですけども、ごく限られた人数の非公開での審査で、実際のところどうなん?って思ってしまうわけですよ。

 

今回の日本からの2件の登録と同時に、中国が申請した「南京大虐殺」の記録が登録されることが決まったそうですが、某新聞の記事にこうありました。

「日本政府は、中国の申請時から中国に対し取り下げるよう抗議をし、またユネスコに対しても登録をしないよう抗議していたが、実際に登録が決まり、ユネスコへの分担拠出金を凍結する構えを見せている」

記事によると、どうも申請時から、政府は拠出金の話はほのめかしていたらしく、また中国は中国で、事務局関係者を中国に招待するなど、両国とも、自国の益のために躍起になっていた模様。

 

「南京大虐殺」がどうの、とかいうことはここでは置いといて、あの・・・ですね、根本的に、客観性が求められる審査機関に、自国の益のためにお金をチラつかせたり、アレコレ働きかけるってのは、一番やっちゃいかんことじゃないのか、と。

事実の信憑性とか、遺産として登録に値するものかどうか、真意を求めるなら、公開審査を求めるべきであって、金品などで釣ることなどはあってはならんと思うわけですよ。

本来、世界◯◯遺産として登録する目的って、国境を越えて、その文化的価値や歴史的価値を広く世界に広め、後世に伝えていくことのはず。

決して政治的目的で利用されるべきものではない。

 

ただね、じゃ、文化的価値とか歴史的価値って何なのよってなると、何に価値を見出すかなんて、人それぞれだし、「南京大虐殺」が歴史的価値があって、「慰安婦」がそうじゃないってなると、たぶん韓国人にとっては、キーッって血圧の上がる話だと思うんだわ。(あ、ちなみに、中国は南京大虐殺と慰安婦の2件を申請してて、慰安婦は却下された)

 

なんかね、こう考えていくとですね、世界◯◯遺産ってもういいじゃん、って思ったりするわけですよ。

そもそも人の価値観なんて一緒じゃないし、なんていうか、登録されることで、その国の格が上がるみたいな、なんかそんな風潮を感じるんだわ。

自国のことを、より広く知ってもらえるってのは、素直に嬉しいんだけど、なんか違うなって感じた今回の件。

本当に価値のあるものは登録されていなくても残っていくし、登録されていても、人間の愚かな行為によって破壊されてしまうことだってある。

奇跡的に残るということに、ある意味、本当の遺産という価値があるのかも。