ガラスの魅惑

 

透き通る窓を見て、なんで透明なんだろうって

その昔思った。

空気とも違う。水とも違う。

硬い固体物質なのに、どこまでも透き通っている。

化学的に言うと、ガラスを構成する分子が不規則に結合して、可視光線を散乱させないから、ということらしいのですが・・・なんかイメージわかんし。

まあ、難しい話はともかく、現代の生活において、ガラスはなくてはならない存在となった。

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歴史的にみると、ガラスは古代エジプト時代から製造されていたらしい。主には食器などの小道具。

建築物に使われるようになったのは、中世ぐらいからとか。教会のステンドグラスがそう。

あのステンドグラスから差し込む光を見てると、本当に天国からの光かと思うくらい、実に美しい。

いにしえより、人は美しいものに心の安らぎと拠り所を見出した、ということがわかる。

時は経ても、人の心が求めるものは、同じナリ。

 

次第に全世界に広まっていくガラス。

日本においては江戸時代。江戸切子に代表されるように、建築物ではなく繊細な工芸品として、多く広まった。

本格的にガラスが建築物に使われるようになるのは、19世紀アール・ヌーボーの時代から。

それまでの、重々しい格式張ったフォルムとは異なり、自然界の曲線美、自由な造形に、新素材のガラス、鉄が使われるようになった。

近代では、カーテンウォールに代表されるように、一面ガラス張りの建築物も珍しくない。

ガラスは、その加工のしやすさから、実に様々な製品が生み出され、すぐれた性能や機能を合わせ持つものも多くある。

そのおかげで、一面ガラス張りなんていう、一見おっかなそうなものだって、ヒョイとできてしまうわけだ。

 

数日前に、アップルストアのガラス張りの壁面が粉々に割れた、とかいうニュースが出てましたけど、

写真を見るに、ワタクシ、最初これ、こういうデザインのガラスかと思いましたよ。だって、無茶きれいやん。光が反射してるからきれいに見えたんかな。

 

これ、強化ガラス(たぶん)の典型的な割れ方。

フロートガラス(通常のガラス)のように、放射状にひびが入って破片が飛び散るんじゃなくて、粉々になって、砂粒がバラバラと落ちるように崩れる。

なもんで、破片が飛んできて大怪我をするっていう危険が少ない。

(まあ、粉といっても、一応ガラスだから、触れるとチクチクしますけど)

このアップルストアでは、飛散防止フィルムを貼ってあったらしく、粉々になってもバラバラ崩れることもなく、一応原型をとどめている。

客が着けていたApple Watchがぶつかった(?)とか何とか、どういうシチュエーションでそうなんの?的な原因らしいですが、店員さんのうまいセールストークにやられましたワ。

ワタクシ、Apple Watch持ってないのでよくわかりませんけど、この強化ガラスにも負けませんでしたよってなると、マジか!と思ってしまいます。(でも、買わんけどな)

 

そもそも、強化ガラスという名前だけあって、ちょっとやそこらじゃ割れんのですわ。

面強度はフロートガラスの3、4倍。通常、ものが当たって割れるってことは、まずない。

だから、そうそう割れちゃ困るような場所に使われる。

 

ちょいと昔の話を思い出した。

「強化ガラスは面を叩いても割れない。エッジ(側面)に衝撃を加えると割れる」という、まあ、強化ガラスの特性なんですけど、これが本当かどうかを試してみたくて、一人こっそり、サンプル品をビルの屋上に持ち出し、ハンマーで思いっきり叩いた。(この異様な光景・・・挙動不審者か)

カ、カタイ。われへんぞ。てか、手が痛いし。

結局、エッジを何回か叩いて、ようやくポロポロとかろうじて割れ始めた。

ハンマーの衝撃でガラス粉が自分の方へ飛んでくるし、ひえ~、ってなわけで、アホなまねをしつつ、強化ガラスの強度を実感したワタクシでありました。

 

この実体験(?)があったので、アップルストアのガラスは、どうやったらあんなになんの??って、摩訶不思議の世界なわけで。(もちろん強化ガラスにも厚みはいろいろあるけどサ)

逆に、Apple Watchの素材が、ぶつかるものをことごとく傷つけてしまうんじゃないのだろうか、とヘンな心配をしてしまいましたヨ。

どうなんでしょうね、気になるところです。(でも、買わんけどな)

 

Apple Watchに話がそれましたけど、このガラスの性能の進化で、建築の自由度は格段に変わりました。

衝撃に対する強度だけでなく、耐火性能を求められる場所にも使えるファイアライト(←実はこれ、永遠の課題だった)が登場したときは、ガラスもここまで来たかと思いましたよ。熱膨張率がほとんどゼロで、火災で熱せられても、消火の水がかけられても割れないんだそうな。

 

あらゆる光を通し、透明であるがゆえに、その存在感を誇張せず、軽やかで解放的な空間を提供してくれるガラス。窓から差し込む光に、心の安らぎと拠り所を求めた古代の人々と同じように、私たちもまた、解き放たれた心を求めるのかもしれない。

ガラスの進歩にこれからも期待したいゾ。