奇跡の水

いまでこそ、一般家庭では浄水器が当り前、んでもって、水はペットボトルを買って飲むってのが、普通のスタイルに定着していますけども、ワタクシ、バリバリの昭和生まれでありまして、子どものころは、家に浄水器なんて小洒落たものはありませんでしたし、ペットボトル入りのミネラルウォーターを、わざわざ「買って」飲むなんてことも、したことがありませんでした。

水を飲む、と言えば、水道の蛇口をひねってそのまま飲む。

えー、ゴクゴク飲んでましたよ。

田舎だったせいか、水道水も普通においしかった。

でも、直接水道水を飲んでお腹を壊すこともなく、こうして今、元気ハツラツ(とまではいきませんけど)普通に生きています。

それだけ、日本の水道水の衛生基準レベルは高いということだと思います。

浄水器が当り前になったからといって、別に水道水のレベルが落ちたってわけでもなく、我々自身が過剰に神経質になっている面はあると思う。

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そんな、衛生な水が当り前の日本人にとって、海外で一番気を使うのが水。

まあ、海外では水道水は絶対に飲まないってのは、もはや常識となってますし、日本でペットボトルの水が今ほど一般的でなかった時代でも、海外では「水は買って飲む」が当り前で、どこにでも売ってましたから、困ることはなかったと思いますが、それでもレストランで食べたサラダとか、ドリンクの氷でやられたって話は聞いたことがあります。

だいたい、テーブルに座って、何にも言わなくても水が出てくるとこなんて、そうそうないし。

今までの経験上、ニューカレドニアの一カ国だけでしたな。もちろん、無料の。

ニューカレドニアの水道水が、飲んで安全なものなのかどうかは分かりませんが(そのレストランの水が水道水だったかどうかはわかりませんし、ホテルで水道水を直接飲んだわけでもないので)、それでもやはり、水道水が飲める国ってのは、世界の中でも数少ない。

 

アジアの中において、水道水が飲める国は3カ国。厳密に言うと、3地域かな。

日本、シンガポール、そしてカンボジア。

えーっ!!! カ、カンボジア?!

ウソでしょ。

って、率直に思いましたけど、どうもホントのようです。

厳密に言うと、カンボジアの首都プノンペン。地方はまだダメ。

北九州市上下水道局の方が、そうおっしゃっているので、おそらくマチガイナイ。

 

カンボジアは周知の通り、アジア最貧国の一つと言われています。

過去の長年に渡る内戦で、国内のインフラはもちろん、就学率も低く、というか教える先生たちが大虐殺で殺されたため、いない。

そして、途上国におきまりの、権力者による腐敗と不正が横行し、全くもって機能していない中央官庁。

長年の内戦にて、浄水場も放置されつづけ、ぺんぺん草が生えるほどに老朽化してしまっていた。

和平協定後も、暫く内部は混沌としながらも、そんなカンボジア、プノンペン市にも希望の光が見える。

堕落しきった水道局を革新するべく、1993年新しく任命された水道局長と、さまざまな国際協力機関、UNDP、世界銀行、フランス、そして日本などの支援との強力な協力体制の下、プノンペンの水道事情は、目を見張るような進歩を成し遂げた。

 

日本からの技術支援に、北九州市水道局から技術者が派遣された。

水道管を新しくして漏水を防ぐことができても、勝手に埋設管を切断し、分岐管を繋いで水を引っ張る「盗水」が後を立たなかったため、水道管の刷新のタイミングに併せて、漏水や盗水を監視するシステムを導入。これによって、急速に安全な水道供給サービスが改善した。

 

そう言えば、なんか聞いたことあったな。

盗水とか盗電とか、勝手にライフラインを引っ張って使うって強行ワザ。

公共サービスがままならない、途上国でよく見かける光景だ。

ある意味、たくましいっちゃたくましいが、プノンペンでは、前水道局長自らが「盗水」をして、盗んだ水を売りさばいていたのだから、話にならない。

新局長が、任命後、真っ先に手をつけたのが、局内部の不正を正すことだったというから、相当腐敗していたことが伺える。

 

しかし、結果として、内部の不正を正していくことから、次第に市民全体に健全な給水サービスが可能になった。

各住戸にメーターを取り付け、きちんと料金を徴収する流れが確立すると、水道局の運営も改善し、必要な薬品や施設の維持管理が可能になる。こうして、プノンペンの水は「飲める」水へと生まれ変わった。

 

途上国のライフラインの改善が進まない理由として、資金や技術の不足が言われる一方、既得権益者による不正が背後にあることは、大きな壁の一つとなっているのも事実。

私欲のためでなく、豊かな国を目指して闘った彼と、彼を支えた若手職員メンバーの高い士気に、カンボジアの明るい未来が見える。

 

腐敗が蔓延する社会において、なぜ、彼は全うな志を持ち続けることができたのだろう。

 

若い頃、彼が学問を学んだ教師、それは、他でもない、あの大虐殺を繰り広げたポル・ポトだった。

「もとから「悪」ではない、すばらしい人間だった。ただ、「欲」が彼(ポル・ポト)を変えた」と彼は回顧する。

ポル・ポト政権下で、「死」と向き合いながら生き続けた彼が望んだものは、生きること死ぬことは、むしろどうでもよく、「自由」だった、と自ら語る。