必要のない人

 

とあるタスクに没頭しておりまして、半ば隠遁生活のような日々から解放され、スッと気持ちが楽になったのもつかの間、棚上げしておいた仕事を年末までになんとかせんと、とは思いつつ。。

 

いつも過ちを犯している。

忙しいと愚痴が多くなる。

ちょっとしたことに腹をたてる。

まだまだ人間ちっちゃいなと思う。

 

アルフレッド・アドラーは、人間の究極の幸福は他者貢献だと言った。

昔読んだ内館牧子さんの「必要のない人」は、妙に共感するものがあった。

他人から必要とされている、そう思えるとき、人は幸せを感じるという。

たぶんこれは真実だと思う。

 

思うに、人は、幸せを感じるために仕事をしている生き物ではないだろうか。

ここでいう仕事とは、報酬を得る仕事だけを指すのではない。

専業主婦(主夫)だって、家族のために仕事をしているのだし、ボランティアなどもそうだ。

もしも、一日中何にもしなくて食べていける極楽の生活が与えられたとしたら、たぶん人は気が狂ってしまうと思う。

ま、その前に、本能的に何かを始めるだろうが。

 

本来は、仕事、つまり他者貢献できることに感謝しなければならんのに、なんでだろうね、人間というものは実にワガママな動物だと思う。

 

人間の仕事の大半が、AI(人工知能)やロボットに取って替わると、あちこちで盛んに言われております。

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建築の世界なんて、まさしく適所なんだろうな。

その昔3Kと言われたことも嘘のように、彼らは文句も言わず、そして正確に完璧に仕事をこなす。

図面に謝りがあれば、自動的に検知して、正しく作り変える。

いや、すごいよ、考えただけで恐ろしい頭脳だ。

そう、遠くない将来、働き手がいなくなってしまう頃には建築現場は、様変わりするだろうね。

設計の現場だってそうだ。

目を真っ赤にしながら、夜な夜なCADとにらめっこしている設計事務所の風景も消えていくんだろうな。

コンセプトとラフデザインをインプットすれば、最善のプランを最も効率的な方法で完成させてくれる。

減少する働き手の代役として、そして労働環境の改善という点において、これ以上有望なものはない。

 

労働環境が変わっていく、いや変わらざるを得ない時代の中で、人は仕事に何を求めていくのだろう。

生活の糧を得るための手段であることには違いはないが、いつか「あなたでなくてもロボットが代わりにやってくれるから」、そんな風に言われる時代でもなお、人は幸せを求めて仕事をするのだろうか。